大受

大受 の「土のにおいのする力士」は玉ノ海さんの傑作でした





広い肩幅、押し相撲として理想的な体型。昭和48年名古屋場所で、史上初の三賞独占を果たして大関に昇進した当時の大受は、ピッカピカに輝いていました。

大受は左右のハズとおっつけの、徹底した押し相撲でした。立合いに強烈に当たるタイプではなく、じわじわと、しかし強烈に押し上げる相撲でした。

廻しを引かれれば三段目といわれ、実際に四つ相撲では話になりませんでしたが、それでも23歳で大関にまで駆け上がります。

大受の相撲には、股関節の柔らかさが強く印象に残っています。177cm・150kgの体を、常に柔らかい股関節が支えていました。

上半身が前のめりになることが見られない押し相撲です。引きや叩きを警戒して、押しが中途半端になることなど皆無で、足の運びも見事でした。

引きや叩きに強かった大受と、天下一品のいなしの技術があった小兵の名関脇鷲羽山との相撲は壮絶を極めました。

大受の押しと、鷲羽山のいなしと土俵際の変化・粘り。土俵とはこんなにも広いものかと思うほど、攻守ところを変えること数え切れず、大相撲を展開しました。まさに、「大相撲になりました!」でした。

押しも押したり、いなしもいなしたり。前に落ちない大受と、土俵を割らない鷲羽山。その土俵には、美しささえ感じられました。

大受

控えの大受、後に長く審判委員の朝日山親方として、控え近くで見ることになりますね。

押し相撲一筋、23歳で大関に昇進した大受は、しかし首の古傷の悪化で在位5場所で大関陥落、27歳で無念の引退でした。今のように医療が発達した時代ならば、復活したかもしれませんが・・・。

当時の名解説者である玉ノ海梅吉さんが語った、「土のにおいのする力士」と いう言葉は、力士のニックネームとして最も秀逸な作品の1つです。

大受の真骨頂である足の運びの見事さは、土のにおいがするほどの稽古量を感じさせるものでした。





力士名鑑 : 大受

砂かぶりの夜

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