照ノ富士

照ノ富士 へ、勝つことがすべてではない世界で勝つことを目指すから力士は美しく、そして大相撲も美しい





まず言っておきたいのは、変化技に対して前に落ちる力士の方が、鍛え方が足りないというのを基本的には考えています。立合いの変化を考慮に入れなければ、いくらでも思い切っていけるでしょうが、そうなったら相撲の本質が変わってしまうと思います。前に落ちない足腰をつくるのが、本物の力士です。

と、前置きして、照ノ富士の変化について。「反則ではない」、という言い方があります。私はそれ以前に前に落ちる方が悪いと考えているのですが、それでも「反則ではない」という言い方は「金を払ってるから客だ」にちょっと似てます。・・・違うか。

大相撲はスポーツとは一線を画す、とはよく言われますね、神事の意味合いもあると。神事というと難しいのですが要は見て喜んでもらう、平たく表現すると神様に見てもらって喜んでもらうってことです。

これを誤解されるのは、大相撲はエンターテイメントじゃない、力士は勝つために頑張っている、と反論されることが以前にもありました。

それも分かりますが、それでも言いたいのは、「大相撲は勝つことがすべてではない、その勝つことがすべてではない世界の中で、それでも勝つことを目指すから力士は美しく、そして大相撲も美しいのです」

神事の意味合いを深める役割を果たす、もっとも重要な立場にいるのが横綱であり、だから横綱は美しくなければならないのです。照ノ富士も横綱を目指すのなら、そこを理解してもらわないといけない。だから琴奨菊戦は、大相撲ファンとして簡単に素通りすることができない相撲なのです。

最後にもう一つ、勝ちたいためだけに、むやみに低く突っ込んでくる力士がいたら、それは美しくないので変化してペッチャンコにしても構いません。





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力士名鑑 : 照ノ富士

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