栃赤城 逆とったり

栃赤城 土俵際の逆とったり





春日野部屋は栃錦・鳴門海・栃ノ海・栃東と、業師を輩出する伝統がありました。栃赤城もまた、春日野部屋の伝統を受け継ぐ力士でした。前述の先輩業師たちとの違いは、それはアンコ型だったところです。

栃ノ海や栃東のように切れ味鋭い速攻を仕掛けるというよりも、むしろ相手力士の攻めをしのいで土俵際での大逆転の逆とったり、という取り口でした。

技能派力士というより、異能力士。下半身の柔軟さと相撲カンの良さは抜群。しかし、それを逆転技のために生かす嫌いがありました。上位陣が嫌がるタイプの典型、そして性格も異能力士っぽさがありました。

初代貴ノ花が一人大関となった昭和54年九州場所で前頭筆頭の栃赤城は10勝5敗、翌昭和55年初場所では11勝4敗の好成績。ちなみに、この場所で増位山がワンチャンスを生かして大関昇進を果たします。

お得意のサーカス相撲で人気も上々、当然栃赤城にも、春場所の大関昇進の期待が掛かりました。場所前のインタビューでも、大関獲りへ水を向けられましたが、栃赤城は薄笑いさえ浮かべて、「絶対無理だから」と即答しました。

別に謙虚さなどは微塵も無く、ただ「本心を言ってるだけなんだよ」という感じの、屈託のない薄笑いでした。自由奔放、人を食ったような、それでいて人間味のあるインタビューでした。

そして本当に箸にも棒にもかからない6勝9敗に終わり、1回切りの大関獲りのチャンスを逃します。昭和55年、千代の富士が大関獲りの足掛かりをつかんだ年の出来事でした。

しかし当時、栃赤城が土俵を最も湧かせた力士だったことは間違いありません。土俵際での大逆転、とったり・逆とったりといった妙手、それを横綱三重ノ海・若乃花、大関貴ノ花相手に見せるのですから、湧かないわけはありません。

めまぐるしい攻防が特徴だったのとは真逆の、冷めた談話。本物の異能力士でした。輪湖時代の最終盤、そして千代の富士と隆の里が化ける前夜だった昭和55年春場所の出来事です。

千代の富士時代にも、暴れて欲しかった!

ところで昨今では、とったりはモンゴル人力士が時おり見せることがありますが、栃赤城だったら逆とったりで対応していたかもな・・・などと思ったりします。





力士名鑑 : 栃赤城

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA