魁傑

魁傑 というよりも、西森という社会人があの時の大相撲を救い、今の礎を築きました





「私は、チョンマゲをつけているから魁傑ということで、皆から立てられています。 しかし私は土俵の外では30歳の、西森というただの青二才です。それを忘れてはならないと思います」

現役時代から、「力士である前に立派な社会人でありたい」と語っていた魁傑。冒頭の言葉は、そんな魁傑の現役引退時の言葉です。なかなか、言える言葉ではありません。

病気のため最初の大関は在位5場所で陥落。14勝1敗で2度目の優勝を果たし、7場所かけて 大関に返り咲きますが、今度 はヒジの故障で4場所で陥落します。それでも、常に爽やかで礼儀正しい土俵態度。不運の中で大関を陥落しても、その真摯な姿勢はまったく変わりませんでした。

魁傑は女性ファン、特に女子高生に絶大な人気を誇った力士。「角界のプリンス」貴ノ花や、 甘いマスクで人気を誇った二代目若乃花をしても、女性ファンの支持という面では魁傑に及びませんでした。

現役時の真摯な土俵態度は、優しさや謙虚さも同時に感じさせましたが、審判委員になってからの厳しさと いったら無かったですね。恐さがありました。

大相撲が一番大変だった時期に理事長を務め、力士への厳しい処分と本場所開催の中止・技量審査場所開催など、 魁傑でなければ出来なかったのではないかとさえ思いました。

引退時の言葉通り、「西森」という名の一人の 社会人の対応が大相撲を救いました。村社会的な親方衆からは反発され、孤立しながらも信頼を回復し、今の大相撲復興につながります。

現役時は強烈な突っ張りと柔道仕込みの鮮やかな内掛け、もろ差しも巧く、真っ向勝負の力士でした。昭和53年春場所7日目、「ピラニア」旭國との世紀の水入りは、水入り・再水り・取り直しで合わせて10分19秒。また水が入る寸前で魁傑がすくい投げで勝ちます。

魁傑 旭國

この世紀の大熱戦、魁傑は前日にも水入りを演じ、旭國はスイ臓炎から退院したばかり。NHKは放送時間を20分延長し、2番組が飛ばされました。



力士名鑑 : 魁傑

砂かぶりの夜

2件のコメント

  1. この旭国戦は観ていました、二番後取り直しもこの日初めて見ました。何よりもアナウンサーの「こどもニュースはお休みにします」の文言が記憶に残っています。
    同時期に活躍した「タカちゃん」「ゴロちゃん」「ピラちゃん」「西森さん」いずれも親方として横綱を輩出したのがすごいですよね。

  2. ただしさんへ
    コメント、ありがとうございます。
    真面目に謙虚だった現役時代、頑固で厳格だった親方時代。魁傑は、力士の一つの理想の形を体現したのかもしれません。真面目さも、謙虚さも、頑固さも、厳格さも、それはすべて自分に厳しくないと体現することの出来ないことだと思います。そしてそれは、今の力士や親方にも受け継がれているはずです。

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