北の湖

「貴輪(きりん)時代」の到来を阻止した、北の湖 は空前絶後の悪役ナンバーワン





北の湖が戦後の大相撲における悪役ナンバーワン、ということで問題ないと思います。しかしその全盛期から40年以上が経った今、どれほどの悪役だったのか思い起こしてみたいとも思っています。

北の湖が幕内で最初に勝ち越したのは、昭和47年夏場所。この場所がどんな場所だったのかというと、関脇輪島が12勝3敗で初優勝、小結貴ノ花が11勝4敗で準優勝。「角界のプリンス」として空前の人気力士となった貴ノ花と、「蔵前の星」輪島による、「貴輪(きりん)時代」の到来への予感で人気沸騰、そんな場所でした。

18歳の若手力士にはムゴい話ですが、北の湖は招かれざるホープだったのです。多くの相撲ファンが「土俵の鬼」若乃花との兄弟横綱誕生を貴ノ花に期待し、貴輪時代を夢見ました。北の湖はそのあとの横綱であってほしい、それが偽らざる相撲ファンの本音だったと思います。

150kgを超える堂々と した体格をしていたのも若手力士として可愛くないものでしたが、その表情 のふてぶてしさが決定的でした。そして輪島が横綱となり、貴ノ花が追い付けなくなった時期から北の湖は頭角を現します。そして貴ノ花は北の湖に分が悪くなります。

北の湖 貴ノ花

身長は179cmですからアンコ型というべきですが、胸から腹へ見事に発達した上体にゼイ肉はありません。力士向きの胴長短足、足腰は強靭。肩幅は広かったものの、肩の位置が低い独特の体型でした。この体型を生かして、巻き替えも素早く、そのうえ相手の上手を切るのも巧く、馬力と技巧を兼ね備えた相撲を完成させました。

強すぎて悪役となるパターンは当然として、若手力士の頃から悪役というのは北の湖をおいて他に存在しないでしょう。そのふてぶてしい表情だけでなく、敗れた相手に手を貸さないことでも有名。しかしそれは、「敗れた相手に手を貸すのは、相手に対して失礼」、という確固とした信念によるものでした。

強すぎる悪役も晩年は応援されるもので、横綱も応援されるようになったら終わりとは、よく言われるものです。しかし北の湖には、それも当てはまりませんでした。上がってきたのが軽量、そのうえ大ケガを克服してきた千代の富士だったからです。

絶大な人気の千代の富士、そして貴ノ花の弟弟子でやはり軽量の人気大関の若嶋津を相手に、現役の晩年まで悪役をつらぬいた北の湖。空前にして絶後の悪役ナンバーワン力士でした。




力士名鑑 : 北の湖

 

2件のコメント

  1. 悪役=人格者論
    大相撲中継の中で名勝負や思い出の一番というと、輪島、貴ノ花、魁傑、千代の富士との優勝決定戦に代表される、北の湖が負ける相撲ばかりなんですよね。大相撲史の要所要所で負け役を演じる見事な悪役です。
    その人格について高く評価されるのは引退してからですが、現役時代にこんなことがありました。これまた私の記憶だけで書きます。
    週刊宝石に北の湖のインタビュー記事があり、北の湖は約束の1時間も前に来て待っていたそうです。記者がその理由を尋ねると、「相手を待たせるより自分が待つ方が気を遣わずに済みますから」と答えました。これを読んで、ああこの人は人間ができていると思ったものです。
    こういう自分に厳しい人だから、理事長になっても皆がついて来たんでしょう。以上であります。

  2. ただしさんへ
    コメント、ありがとうございます。
    優勝決定戦の勝率は悪いものの、多くのドラマを残してくれた北の湖。先輩横綱の輪島、後輩横綱の千代の富士、稀代の人気力士貴ノ花、花の28の若乃花、大相撲史に残る曲者力士たち、その多くのドラマの中心に北の湖がいました。記録だけでは測れない記憶、そして常に悪役で存在できた実力。そしてその人柄と実力ゆえに、大相撲ファンも安心して悪役と位置付けていたのかもしれませんね。

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