大内山

大内山 は力士の凄さを分かりやすく私に伝えた最初の力士でした





昭和30年前後の土俵を盛り上げた大関、大内山。 私は残念ながら、現役時代の勇姿を見ることは出来ませんでした。しかしある意味で、最初に凄いと感じた力士は大内山だったような気がします。

大相撲中継を見るようになって、当時のテレビ画面で最初に目に入るのは、向正面に座っている勝負検査役の元大内山の立田山親方、その遠近法を無視した巨大な上半身でした。まだ審判委員ではなく、勝負検査役と呼んでいた時代です。

当時の検査役は元大関汐ノ海の出来山、元関脇羽島山の松ヶ根といった現役時には強面だった力士たちですが、検査役のいでたちでは汐ノ海も羽島山も、子供心には学校の先生のように見えました。そこに登場する202cmの巨人大内山。眼光鋭いギョロ目に、少し怒っているような恐そうな大きい顔。ちなみに写真は、検査役のときのではありません。

大内山

やはり引退しても力士は力士だ、と感じるさせる迫力でした。物言いの協議でも、元力士の親方衆の輪から頭1つ
どころじゃなく、肩のあたりから抜きん出ていました。同じく検査役だった元朝潮の振分親方(後の高砂)、濃い眉毛と巨体で仁王様と呼ばれた元横綱が、並ぶとまるで普通の青年のように見える、大内山の迫力は特別でした。

ビデオで見る大内山の相撲は強烈な突っ張りを得意とし、外側から太い腕を回すようにして手をつく仕切りは威圧感に溢れていました。昭和においても2mを超える力士は活躍していましたが、大内山はその巨体ながらバランスが取れ、足腰も柔軟でした。2mを超す体で、近代大相撲では初めて大関になった力士です。

大内山といえば絶対に外せないのが、大相撲史上に残る名勝負と謳われた昭和30年夏場所千秋楽、横綱栃錦との一戦です。バランスが良くて2mを超す大内山は、負け方も美しかったのだろうと思います。

栃錦 大内山 首投げ

相撲以外の伝説も。千代の山や若乃花など、当時の酒豪5人の力士で30升の酒が飲まれた酒宴で、最も飲みっぷりが良かったのが大内山だったという伝説があります。時津風部屋の後援者から「3人で飯を3升食べたらご祝儀」と言われ、 「1升5合は俺が責任を持つ」と言って回りを驚かせたのも大内山です。「力士は凄い」、それが非常に分かりやすい力士、それが大内山でした。




力士名鑑 : 大内山

 

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