天龍 源一郎

天龍と輪島の関係は、プロフェッショナルを感じます





元前頭筆頭 の天龍、プロレス専門誌で前田日明と対談したときの話です。前田日明といえば格闘技ファンなら誰でも知っている、妥協の無い激しいファイト振りで有名な格闘家でした。特に蹴りを得意とし、対戦相手に嫌がられる情け容赦のない蹴りを中心とした試合をしました。

その前田が天龍に対して、プロレスデビュー当時の元横綱輪島の顔面をレスリングシューズで蹴りまくっていたことに触れ、「何てエゲツないことをする人だ」と思ったそうです。たしかにレスリングシューズには堅い靴紐と、それを通すための金具が足の甲から足首まで付いていて、蹴るには危険です。前田のように蹴り技を多用する選手は、専用のシューズを使用していました。

天龍の答えは額を指差しながら、「力士のここは鍛えられているからねえ」の一言。輪島は決して頭から当たっていく力士ではなく、これを読んでいてアレッと思いましたが、輪島ですら頑丈なのですから、頭から当たっていく力士の
強さは推して知るべしだと思いました。

輪島と天龍は昭和23年の、それぞれ1月と2月生まれの同学年。15歳で角界に入門した天龍に対して、「蔵前の星」の輪島は6年遅れての入門でした。

同じ二所ノ関一門ではるかに先輩ながら、天龍は十両昇進時点で輪島に大きく遅れを取っていました。新入幕のとき、輪島は既に大関。天龍が大相撲を廃業するときは、輪湖の全盛時代でした。

そして38歳で輪島がプロレスデビューを果たすとき、天龍はプロレス界では大スターとなっていました。年齢的に無理があったのもありますが、なかなかプロレスラーとして華が咲かない輪島に対して、天龍は容赦の無い、叩き潰すプロレスを仕掛けます。

しかし天龍と輪島の抗争が、輪島がプロレス界で数年間だけでも活躍した、その証しのように今ではなっています。大相撲では雲の上の存在だった同学年で入門では後輩になる輪島に、天龍が力士当時の悔しさを本当に晴らしている、と見るものに感じさせるほど強烈な試合が数多く展開されました。

しかし輪島は回顧録で、年齢的に無理があったプロレス転向は苦しかったと語っています。そんな中で、「天龍など数人の先輩レスラーが 『横綱』 と呼んで、立ててくれたので、少しでも続けられた」、という言葉がありました。天龍は本物のプロフェッショナルだったのです。

プロレスラー天龍源一郎は、その体の頑丈さは有名でした。しかし思い出してみると、力士時代の天龍がどんな力士だったかといえば、相撲のうまさは評価されていましたが、細身で優しい顔立ちの美男力士でした。しかし押尾川事件のときの行動などを見ると、気の強さは感じられ、その後のプロレスラーとしての活躍も分かるような気がします。




力士名鑑 : 天龍

砂かぶりの夜

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