栃光

「ベコ」 栃光 は、ついに生涯一度も待ったしなかった紳士





昭和41年初場所に引退した大関栃光。栃光について語られるのは、土俵マナーの良さ、真面目さ、稽古熱心。ニックネームは、「べコ(牛)」、「相撲界の紳士」、物静かな表情や所作が印象に残っています。

しかし実際の栃光の相撲は、ニックネームのイメージとは違います。左四つからの寄りと上手投げの正攻法の力士ですが、闘志に溢れた表情からがむしゃらな寄りと、かなり強引な引きずるような上手投げ。それも決まるまで連発で仕掛ける強気なもので、土俵狭しと攻防を展開する激しい相撲でした。

塩をまく所作に入ろうとする上の写真と、取組中の下の写真にはかなりのギャップがあります。気合相撲で四つになるまでの前哨戦も凄まじく、突っ張りにハズ押しとおっつけも強く、それほど大きくはない体なのに、正攻法で柏鵬全盛時代に大関を立派に張りました。

栃光

同じく柏鵬時代で綱を張った栃ノ海佐田の山の激しい稽古は有名ですが、その出羽一門において栃光は両横綱より4歳年長。「ベコ(牛)」のように黙々と努力し、「ベコ」のようにタフ。栃ノ海と佐田の山を横綱にしたのは栃光だ、と言う人さえいました。写真、栃光の後方が栃ノ海。

栃ノ海 栃光

引退間際の4場所で、栃光は3場所負け越します。それでもこの間際の4場所で、当時若手のホープとして注目されていた北の富士には3勝1敗、玉乃島(後の玉の海)には3連勝して土俵を去ります。物静かな表情や態度とは裏腹に、大関としての意地とプライドは相当なものだったのでしょう。

気性の激しい栃ノ海や佐田の山との稽古を引っ張っていたのですから、それも納得です。ところで、真面目さと土俵マナーの良さも本物で、時間いっぱいからの待ったは、生涯ついに一番もありませんでした。




力士名鑑 : 栃光

砂かぶりの夜

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