琴光喜

琴光喜 を書いていて白鵬の言葉に行きつきました





琴光喜が16年前に平幕で優勝したときに、どんな相撲をとっていたのだろうか?大関時代の琴光喜の記憶は割りと鮮明に残っていますが、ケガをする以前の琴光喜のイメージが浮かびません。

琴光喜が他の年度の学生横綱とは格が違う、特別な学生横綱だったことは何となく分かります。そして入幕時には、朝青龍とともに時代を築く逸材という扱われ方だったわけです。

恵まれた体で柔軟、出し投げの切れ味も鋭く、肩すかしなども器用。立合いの当たりも強く、前さばきも巧い。実力的には綱を張れるぐらいの、そういう力士だったと、これは大相撲ファンの多くが思ったことでしょう。

しかし立合いの当たりが強いといっても、必要以上に強く当たって勢いあまって墓穴を掘ったり、良い形になっても攻めなかったりと、もったいない相撲が多い力士だったですね。

同世代の力士との対戦成績も、千代大海にわずかに負け越しているだけ。言い尽くされてる朝青龍との対戦も、そこまでの差があったという感じではありません。

むしろ朝青龍が一番恐れた力士が、琴光喜だったのではないかという気がします。日本の高校で朝青龍が相撲を始めた頃、琴光喜はアマ相撲のスーパースター的存在だったと思われるからです。

何でも出来るオールラウンダー、同じ昭和51年組の千代大海・栃東・若の里・高見盛が、それぞれに個性的な相撲をとるだけに、よけいに目立っていました。

琴光喜でよく語られるのは、直近3場所に34勝で大関を見送られたときのことですが、平幕の武雄山戦の負けっぷりが悪かったという、これは相撲内容で評価された数少ない例です。たしかに武雄山戦の負け方は、覇気のない弱い負け方でした。見送られても仕方がない、そんな負け方でしたね。

それ以上に、貴乃花も武蔵丸も不在の場所だったというのもありました。しかし、もし・・・とは考えますね。もしあのときに大関に上がっていたら、朝青龍にあそこまで連敗はしなかったかもしれない。朝青龍に連敗しなかったら、もっと好成績を上げたかもしれない。もし・・・。

それでもその後の琴光喜のどこか冷めた相撲振りを見ると、やはり大関だったかなという気がします。巧くて強くて、たまにポカをする・・・。白鵬の言葉が頭に浮かびます、「強い人が大関になる、横綱は宿命だ」




力士名鑑 : 琴光喜

 

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