北勝海

北勝海 の八角理事長はポチとは呼ばれておりませんでした





北勝海が本名の保志で入幕したときは、とうとう自分よりも年下の力士が活躍する時代になったなぁ、と感慨深いものがありました。3場所前に、やはり年下の大乃国が入幕しているんですが、童顔な北勝海の印象の方が強いですね。高校野球の選手が年下になったときの独特の感情、これがついに大相撲でも味わうことになったと・・・。

北勝海は押し相撲の横綱だったとは、もちろん呼ばれません。三役から大関昇進あたりまでは四つ相撲の割合が多く、グラデーションで変化していったような感じでした。20歳で入幕しているから、出世は速い力士。前ミツを引いて食い下がる相撲の型は素晴らしく、それだけで大関まではいけると思われる期待の若手力士でした。

よく北勝海は努力の横綱と表現されますが、同期の双羽黒の入幕がちょうど一年遅れですから、努力を強調した話には違和感アリです。千代の富士との猛稽古があまりにも有名ですから、努力の人のイメージが強くなっていると思われますね。

もちろん取的時代から千代の富士とは猛稽古でしょうから、相当な努力の人なのは間違いないですが、しかし前ミツを引いての食い下がる相撲と、さらに押し相撲を身につけるのですから、やはり北勝海には天才的なものがあったはずです。努力のイメージは、あの童顔が物を言っているような気もします。

北勝海は直近3場所を36勝で大関に昇進していますが、前年に大乃国が31勝で大関に昇進しています。北勝海は前場所に直近3場所を32勝で大関を見送り、小柄で童顔が災いしたのでしょうか。

181cm・151kgの体は、のちの大関の千代大海や栃東と同じぐらい。それで優勝8回の、A級横綱一歩手前までいったのですから立派です。日馬富士が8回目の優勝を果たしたとき、北勝海に並んだんだなぁ、大したもんだなぁと思いました。

押し相撲を前面に出しながらも、大一番で厳しい展開になったら、しぶとい四つ相撲の本来の相撲が生きて、乱戦を制するという場面が多々ありました。もちろん、千代の富士との猛稽古で培われた精神面の強さもあったでしょう。速攻の押し相撲でも長い相撲でも、強さを発揮した横綱でした。

しかし、本名の保志の「ホシ」から「ポチ」というニックネームがついていたらしいのですが、あまり記憶に残っていません。これは多分に九重部屋の内々の呼び名、特に千代の富士使用限定レベルの愛称だったのではないかと思われます。私なんかは、「保志」⇒「ホシ」⇒「星」⇒「スター」という連想ゲームをしてましたけど。

それに北勝海の童顔な顔で「ポチ」は、あんまりでしょう。表立って呼ばれていたわけではなかったにしても、当時の大関陣が、「ペコちゃん」と「大ちゃん」で、それからぁ~のぉ~挑戦する「ポチ」って・・・。何なんでしょうか?今では堂々の理事長です。

北の富士が千代の富士と北勝海に、「やめるときは潔く」と語っていたようですが、出羽海一門(大関まで北の富士がいた)の大先輩栃錦や先輩佐田の山の引退を思い起こします。北勝海は現役晩年に腰を痛めて苦しい土俵でしたが、大乃国・小錦といった巨漢力士相手に熱戦を展開、28歳の完全燃焼でした。




力士名鑑 : 北勝海

 

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