双羽黒

双羽黒 は天才的だったが双羽黒事件とユルフンは永遠の謎





双羽黒は本名の北尾で、一気に番付を駆け上がっていきました。とにかく体が柔軟で大きくて、そして相撲が巧い力士でした。まずは、かいなの返しの巧さ。本当に柔らかで、それでいて相手の動きを制御してしまう、そんなかいなの返しでした。前さばきも良く、長い相撲の展開になっても粘り強く、そして何よりあの長身でありながら足腰の構えが崩れない柔軟さと強靭さ。

ふところが深いという表現がありますが、その表現では足りないほどの受けの強さを持っていた力士。相手が根負けしてしまう、そんな相撲が多く見られました。あの体のサイズで、小さい方がしなければならない相撲を大きい方がしてしまうのですから、相手はたまったものじゃありません。

巨人型ではない199cm・157kgの体ですから、全盛期を過ぎていた北の湖や隆の里は厳しい相撲を強いられました。もっとも苦汁を飲まされたのは、まだ横綱への可能性があった北天佑。双羽黒に星を落としたために、綱取りの流れにならなかった場所もありました。

と・・・ここまで双羽黒をほめてきましたが、気になる点もありました。特にユルフン、そうです、締め込みがすぐに緩むんです。廻しを引きつけたいタイプの隆の里も北天佑も、気の毒な場面がありました。北天佑が横綱になれなかったのはユルフンのため、だとしたら悲しいですね。

双羽黒・・・北尾は割りと裕福に育ったようですが、その締め込みのゆるさも育ちと関係しているのでしょうか。もう一つ、千代の富士に勝ったときに笑みを浮かべての勝ち名乗りという場面もありました。育ちの良さをそういう人間のゆるさにつなげて、つい悪い方に取ってしまいますが・・・その後の双羽黒事件との関係も含めて。

優勝経験なしでの横綱昇進に関しては、これは当時の空気を考えると・・・私は納得できるほど双羽黒は強かったと思います。優勝経験なしは、結果論にすぎません。しかし、「双羽黒」という四股名についての正直な感想は、双葉山と羽黒山の頭の方だけを取った、座りの悪いというか非常に落ち着かない四股名だな、というものでした。

普通は「千代の富士」、のように上と下をくっつけるものですし、さらに双葉山と羽黒山という偉大すぎる四股名を使う緊張感。このとき、羽が双つって意味が通ってるな、という感じで納得した記憶があります。

双羽黒事件は・・・何もかもが不明瞭で、話も筋が通ってなくて、分かりません。何も書けません。後に双羽黒はプロレスにおいて成功しなかったわけですが、相撲においての技術が抜きん出ていただけに、プロレスで仮に成功したとしても、大相撲以上の成功はありえなかったでしょう。

相撲をするために生まれたような才能で、格闘家としてはどうだったのかは不明瞭と言うしかなく、それは双羽黒事件の様々な部分が不明瞭だったのと同様です。その謎は・・・なぜあんなにユルフンだったのかということも含めて、永遠の謎です。




力士名鑑 : 双羽黒

 

2件のコメント

  1. 双羽黒は昭和38年生まれ、八角理事長(北勝海)や小錦と同い年だ。
    「双羽黒事件」は謎だが、双羽黒=北尾光司氏はご健在のはずだ。大病を患った、という話も聞かない。
    廃業してプロレスラーに転向した当時は良く喋った印象だが、ある時期から全く口を開かなくなった。
    マスコミの前に姿を見せることもなくなった。

    ご本人が話したくないのなら強制することはできないが「双羽黒事件」を永遠の謎にすることには少し抵抗がある。この事件で傷ついた人は双羽黒だけではないからだ。
    いつか真相(に近いことでも)を明らかにしてほしいと願う。

    1. shin2さんへ
      コメント、ありがとうございます。
      「双羽黒事件」については、当時の立浪親方と双羽黒の言い分が食い違っていて、実際の話の内容はまったく分かりませんね。こういう過去の問題を本にする出版社が取り上げて取材すれば、何らかの事実が分かるかもしれませんね。

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA