武蔵丸

最後の黒船、武蔵丸 は群雄割拠の若貴時代の海原を見届けた船だった





高安のような四つ身を・・・と以前に投稿した四つ身、その理想のイメージは武蔵丸の相撲です。あの熊のように組みついた、見事な右のかいなの返し。貴乃花がまったく歯が立たなかった、かいなの返し。

若貴時代、あるいは曙貴時代。平成4年秋場所から平成10年秋場所までの、6年と一場所にわたる貴乃花・曙・武蔵丸・若乃花・貴ノ浪による優勝独占時代。

しかしこの長い時代が終わった後も活躍し、時代が終わったさらに4年後の平成14年秋場所に、12回目の優勝を果たすまで第一線で活躍したのが武蔵丸です。

貴乃花よりも一つ年上ながら18歳で初土俵を踏んだ武蔵丸は、貴乃花の初優勝で若貴ブームが社会現象レベルに達した平成4年に番付を上げていきます。

横綱に昇進するまでの大関在位は32場所で琴桜と並んで史上1位、その間25場所で二桁勝利という安定感と、そして5回の優勝。しかし一歩先を行く貴乃花の背中は遠いものでした。

武蔵丸と貴乃花の対戦は48回。対戦成績は、武蔵丸の19勝29敗。しかし武蔵丸の横綱昇進を境にして、その数字は大きく異なります。横綱昇進前は武蔵丸の13勝28敗とダブルスコア以上の差があり、昇進後は武蔵丸の6勝1敗。貴乃花は武蔵丸に勝てなくなります。

当初の武蔵丸は左四つ、そして貴乃花は右四つでしたが左四つでも遜色なく相撲がとれる力士。このころの相撲の流れはほとんどが左四つで、四つ相撲の巧さは貴乃花が数段上、武蔵丸は翻弄されます。

武蔵丸が右四つで相撲をとり始めるのは平成9年あたりから。平成9年度には貴乃花は3回の優勝を果たし、まだ力は衰えていませんでした。しかしこの優勝した3場所すべてに、貴乃花は右四つで武蔵丸に黒星を喫しています。

それでも武蔵丸が横綱に昇進するのは、それから2年以上を要する平成11年夏場所後。それだけ若貴時代は実力者がひしめく、群雄割拠の時代だったといえるでしょう。

武蔵丸の横綱昇進後は、貴乃花と曙に魁皇・武双山・千代大海・栃東を加えた、さらなる群雄割拠の時代に突入します。そして平成14年秋場所、貴乃花最後の皆勤場所で千秋楽に相星決戦を制し、武蔵丸は12回目の最後の優勝を果たします。そして武蔵丸にとっても、最後の皆勤場所となってしまいました。

翌場所に初優勝するのが朝青龍。武蔵丸はケガにより、朝青龍と横綱対決をすることなく引退。時代は群雄割拠から、静寂の朝青龍時代へと少しずつ動き始めました。





力士名鑑 : 武蔵丸

 

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