栃東が入幕したときは、まずは大関になってほしいと最初に思いました。理由はもちろん、初代の栃東が最盛期のときに病気となり、復活してからも今度はケガとの戦いで大関を逃したからでした。一度は優勝こそしましたが、若いころの速さ、切れ味は戻りませんでした。
そして二代目、身長はあまり変わりませんが体重が115kgだった初代に比べると大きく、それでいて技の切れは持っているという印象でした。しかし二代目も初代と同様に、ケガと戦うことになりました。もしその要因の一つが、過度な筋肉トレーニングにあったのなら残念です。
千代の富士・隆の里・霧島の活躍により、栃東が入門したころは筋トレは盛んだったのかもしれません。千代の富士と霧島に共通していたのは軽量だったことで、隆の里もそれなりに細かったのですが、これが全力士にとっても有効なのかとの疑問がありました。当時は情報も少なかったと思いますが。
二代目若乃花と匹敵する、おっつけの強さと相撲の巧さ。全盛期の強さも、若乃花に負けなかったでしょう。3度目の優勝のときには体も少し柔らかそうになって・・・このとき29歳でしたので、稀勢の里のことを考えると年齢的にも問題なかったし、やっぱりケガですね。
これは3度目の優勝をした場所で白鵬を破った一番、栃東の相撲は本当に厳しかったですね。とにかく朝青龍が独走していたといっても、栃東とは互角の勝負だったのですから。栃東・朝青龍時代が来ても、おかしくはなかったぐらいに強かったのです。魁皇には弱かったですけどね。
朝青龍が栃東にどうしても勝ちたくて、エルボーまがいのかち上げをやったことがありました。朝青龍も必死だったわけです。そのときの一番は、のちに「笑っていいとも」で何とかいう芸人に真似されました。
お笑いでネタにされると、あたかも栃東が弱かったみたいに見られますよね、この場面は特に。朝青龍にここまでさせた、栃東の強さというのが実際のところです。大相撲ファンはご承知ですが。
力士のケガが少ないように、ケガに苦しんだ親方たちが頑張ってください!
栃東vs朝青龍といえば、やはりこの一番でしょう。
>>Sumo Nose Break: Asashoryu Vs Tochiazuma
>>https://www.youtube.com/watch?v=Xh6-yV8k0xg
2002年(平成14年)初場所四日目の「伝説の大流血戦」です。
この一番を見たジャズミュージシャンの吾妻光義氏が「栃東の取り組み見たか」という歌を作りました(元歌はカウント・ベイシーらしいが、私ジャズはあまり詳しくないので、すみません)。
>>栃東の取り組み見たか
>>https://www.youtube.com/watch?v=VLwMTgwmFd8
確かとんねるず石橋貴明も、この一番を観て「凄かった」と言ってた記憶があります。
栃東の力士人生はケガと病気との闘いが常に付いて回った。最後は脳梗塞でドクターストップがかかって引退となってしまった。
朝青龍のライバルとして、一時代を築けたはずの力士だった。
shin2さんへ
コメント、ありがとうございます。
凄い相撲でしたね。朝青龍は後輩として、千代大海に対してはリスペクトに近いものを見せていましたが、栃東のことは本当に嫌な相手という思いで相対している感じがヒシヒシと伝わります。それにしても、このときの栃東は強かったですね。