豊真将

豊真将 は「ひょっとして今度こそ!」と思わせてくれる力士でした

豊真将が三段目で優勝したのは平成16年の九州場所、稀勢の里の新入幕の場所で、魁皇が千秋楽に朝青龍に勝てば横綱昇進もありえるという雰囲気の中で、実際に勝ってしまったけれど昇進は見送られたという場所。時代の過渡期でした。

稀勢の里とその前後に相次いで入幕した琴欧洲・日馬富士・琴奨菊・豊ノ島といった期待の若手力士たちが、先に入幕して一気に三役に駆け上がっていた白鵬を追いかける形で出世争い、そして全盛期にあった朝青龍への挑戦というのが当時の土俵のテーマでした。

このころの四股名は本名の山本でしたが、この均整のとれた立派な体の力士が稀勢の里や琴欧洲たちに追いつく日が来るかもしれないと、毎場所山本の成績を気にしていました。これから一年後の平成17年九州場所で十両入りを決めます。

豊真将は大学では相撲をやめ、そのため130kgあった体重が一度は90kgぐらいになっていたといいます。逆にそこに可能性があるのではないか、実年齢よりも力士年齢は若いのではないかという期待を持っていました。稀勢の里のライバルとなりえると。

稽古をしていない期間がある、一度は体重を落としている、そして大鵬や北の湖・貴乃花という若くして最高位をきわめた力士は30歳ぐらいでピークを過ぎたという三つの、まぁ素人考えの根拠といえない根拠。そして豊真将は平成18年夏場所、25歳で入幕します。

ケガで全休があった平成20年以外は必ず、一年に一度は11勝以上の成績を残した豊真将。舞の海の、「日本人力士七人の侍」なんて言葉もありました。誰が最初にブレイクするか?豊真将の11勝以上というのは、「ついに豊真将がブレイクか?」といつも思わせるものでした。

礼儀正しい所作の数々、しかし相撲も謙虚、というか右足を引いた守りの体勢から攻めに転じるという独特の相撲。右差し、左前ミツが基本形。ところが、相手に左四つを許したときの腰の構えが素晴らしかったのが豊真将でした。

左四つで右からおっつけるときは、いつもは引いている右足が前に出て、下から下からリズミカルに前に出ました。そして右を差すよりも右からおっつける相撲が増え始め、そのまま左四つで攻め切る相撲が見られるようになります。「ひょっとして今度こそ」、豊真将ブレイクか!と何度も思いました。

幕内下位では大勝ちするけど三役ではダメ、という評価もあるかもしれません。しかし大勝ちするたびに、「ひょっとして今度こそ!」、の夢を何度も見せてくれたのも事実です。

「日本人力士七人の侍」で最初に引退した豊真将。彼らよりも3歳ほど年上でしたが、豊真将は間違いなく「七人の侍」が展開した出世争いの中で、たくさんの記憶に残る場面を残してくれた名力士でした。




力士名鑑 : 豊真将

 

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