若嶋津

「大相撲になりました!」が多かったのは 貴ノ花 と 若嶋津 でした

横綱にまであと一歩と迫った大関はたくさんいますが、あと一勝まで迫った力士はそうはいません。若嶋津は、本当にあと一勝まで迫った大関でした。同時代の大関で、琴風は入幕してすぐに輪湖の次を担う力士という感じでしたし、北天佑は新弟子時代から将来を嘱望されていました。朝潮も輪島以来の、学生相撲出身の逸材という鳴り物入り。その中で若嶋津は、最初は地味な存在でした。

若嶋津は昭和59年春場所に14勝1敗で初優勝。翌夏場所は9勝6敗ながらも、次の名古屋場所では15戦全勝で2回目の優勝。この状況で迎えた秋場所でした。若嶋津は13日目までで11勝2敗、小錦も2敗で並び、トップを走るのが1敗の多賀竜。14日目が若嶋津と多賀竜の直接対決。この場所に優勝同点でも、横綱昇進は確実といえました。結果は、大熱戦の大相撲になりましたが惜敗します。

昭和50年春場所、二子山部屋で初土俵を踏んだ若嶋津はその場所に貴ノ花の初優勝を目の当たりにします。細身の若嶋津は、貴ノ花の背中を追いかけることになりました。貴ノ花が引退する昭和56年初場所、この場所に新入幕の若嶋津は10勝5敗で敢闘賞を受賞。ソップ型で吊り寄りの正攻法、貴ノ花のいなくなった土俵に同じスタイルの花形力士が現れたのです。

当ブログのタイトルでもあります、「大相撲になりました!」という実況中継でのアナウンスがもっとも似合う力士が貴ノ花でしたが、若嶋津の相撲でも「大相撲になりました!」が連呼されました。初優勝を決めた北の湖戦、上手を充分に引かれ高々と吊られますが、一瞬の隙をついての逆襲で寄り切ります。

貴ノ花の初優勝のとき、やはり北の湖に充分の体勢になられながらも上手投げを打たれたところで形勢を逆転、一気に寄り切った相撲を思い起こしました。どちらも大歓声の、まさに「大相撲」でした。若嶋津は相撲ファンの心を揺さぶる「大相撲」をとる力士として、貴ノ花の衣鉢を見事に継いだのでした。

先日、朝潮のコラムでマンガ「ワイはアサシオや」に触れましたが、固有名詞で出てくる力士は若嶋津だけだったと思います。(全巻見ていないので詳細は不明、あしからず)

朝潮のイジられキャラを引き出すには、常にファンの声援を受けている若嶋津という登場人物が必要だったのです。絶対的なベビーフェイス、あの千代の富士でさえ若嶋津と対戦するときは完全にヒール扱いでした。若嶋津は千代の富士に弱かったから横綱になれなかったとよく言われますし、確かにそうかもしれません。しかし、千代の富士ー若嶋津に大熱戦が多かったのも事実です。

ニックネームの「南海の黒ヒョウ」は、いうまでもなく栃若時代の大関琴ヶ濱と同じでしたが、そのあたりの説明は抜きで普通に若嶋津は、「南海の黒ヒョウ」と呼ばれていました。それだけピッタリだったのでしょう。188cm・122kg、この体でがっぷり四つの真っ向勝負。現代の土俵にもっとも現れてほしいタイプの力士は、若嶋津かもしれませんね。

力士名鑑 : 若嶋津




返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA