土佐ノ海

「土佐、食え!(魁皇)」「伊代の松本?」の 土佐ノ海 っていい人

力士名鑑土佐ノ海の記事を書こうとして、土佐ノ海が関脇だったことを思い出しました。長いこと小結にいた記憶があって、小結で10勝を上げても留め置かれたこともありました。それだけ関脇が強かったわけで、魁皇・武双山・栃東・出島・雅山と、大関争いのツワモノがひしめいていたのです。

金星は11個、入幕3場所目には全盛期にあった貴乃花にも勝っています。立合いの当たりが強く、突き押しの威力が抜群でスピードもあり、そのうえ受けに回ったときの柔らかさもありで、大関候補と呼ばれるようになりました。

当時は前述した大関候補の力士と、すぐに千代大海も追いかけてきて、さらに琴錦・安芸乃島・貴闘力もいました。そこに貴乃花・曙・武蔵丸・若乃花・貴ノ浪って、どれだけ凄いメンバーが揃っていたんだという話です。

本当に若手のころの土佐ノ海は、ぶちかましからの突き押しの馬力も凄かったのですが、横の動きもいいし、土俵際でのねばりもありました。しかし一番大事な時期に体重を増やしたのか増えたのか?前に落ちることが多くなります。

土佐ノ海は、本格的に大関レースに加わることは出来ませんでした。あまりにも上位陣のメンバーが強烈で、同じ時期に玉春日も栃乃洋も小城錦も、同様に跳ね返されました。もちろん大関レースに、あと少しのところまで迫ったのは土佐ノ海でしたが。

土佐ノ海のイメージというと、礼儀正しくてお人好しというものですね。一度テレビの「どっちの料理ショー」で魁皇と一緒に出たことがあるのですが、魁皇と武双山が認め合うライバル同士だったので、土佐ノ海と魁皇のからみに興味がありました。

土佐ノ海は武双山と同期生ですから、魁皇は一つ年下になります。さて年上の土佐ノ海と魁皇の関係は?ここで「どっちの料理ショー」ですから試食の時間というのがあって、クジか何かで試食は土佐ノ海に決まったわけです。

関口宏が土佐ノ海に「どうぞ」とか言ってて、しかし土佐ノ海は魁皇に「大関、どうぞ」とか言ってました。魁皇は苦笑いを浮かべて、「土佐・・・食え!

それでも「いやぁ・・・大関」と、なかなか食べない土佐ノ海。大関の地位は特別ですが、それを際立たせる土佐ノ海の対応でございました。

ところで学生時代、土佐ノ海と武双山はライバルで「東の尾曽(武双山の本名)、西の山本(土佐ノ海の本名)」と呼ばれていたわけですが、玉春日も土佐ノ海にとってライバルでした。「土佐(高知県)の山本、伊予(愛媛県)の松本(玉春日の本名)」とも呼ばれました。

土佐ノ海ー玉春日の取組で「土佐の山本、伊予の松本」の話をアナウンサーがしていて、気のせいか沈黙が・・・。ライバルが、「『伊予(伊代)の松本』って、『早見優』か、オマエは」、とアナウンサーが心の中で呟いてほしい、とそのとき私は思いました。

私が、伊予の松本です。

玉春日

力士名鑑 : 土佐ノ海




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