千代の山 朝潮

栃若時代の二人のマッチョ横綱 千代の山 と 朝潮

鉄骨のやぐら」と呼ばれた千代の山は15歳で初土俵を踏むとき185㎝・86kg、少年時代から怪童と呼ばれ、入門当時から「未来の横綱」といわれていた、といいます。スピード出世で、新入幕場所でも10戦全勝。(優勝は番付上位の羽黒山、決定戦は無し)

筋骨隆々とした192㎝・122kgの体で猛烈な突っ張りが得意、四つ相撲になっても右が堅く、右四つ左上手投げに威力がありました。出羽海一門の稽古では春日野部屋の栃錦が30番ほど稽古し、そのあと出羽海部屋の千代の山が30番。それから千代の山と栃錦が10~20番の3番稽古をしていましたが、千代の山の方が8-2から7-3で分が良かったといいます。

千代の山 栃錦

左四つの栃錦は右の堅い千代の山に苦労し、千代の山の猛烈な突っ張りに歯がガタガタになったとのことでした。栃錦は同門のため対戦はありませんでしたが若乃花も千代の山には分が悪く、それは若乃花が後輩だったからというわけではありません。若乃花の横綱昇進前後、最後も含めて3連敗し通算でも大きく負け越しました。

千代の山 若乃花

軽量の若乃花を、豪快に突き出す千代の山。千代の山が引退を発表した、ちょうどその場所から栃錦と若乃花が毎場所のように優勝を争う、栃若時代が始まります。

朝潮もまた188cm・135kgの筋肉隆々とした巨体で、太い眉と見事に発達した上半身は濃い胸毛という迫力の横綱でした。「ニワトリを小屋に追い込むような」、と形容された寄り身はケタ外れの迫力がありました。

朝潮

強い朝潮と弱い朝潮が同居すると言われましたが、強いときの強さは圧倒的でした。

朝潮

栃錦にしろ若乃花にしろ先輩になりますから、対戦成績は負け越していて当然と思われますが、それでも栃錦に13勝16敗、若乃花には16勝17敗と互角に戦っています。

栃錦も若乃花も、当時としても小柄な力士であり、若乃花は大型力士に対して「気迫で飲み込んで、それで五分なのだ」と語っています。

名人横綱といわれ小さな体で栃若時代を築いた栃錦と若乃花でしたが、対照的な個性の難敵もいての大相撲黄金時代を現出したのです。

力士名鑑 : 千代の山 朝潮




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