小錦

「夢のハワイ」の 高見山 に対する「日米摩擦」の 小錦 でした





黒船来襲」、この言葉にはインパクトがありました。高見山は黒船じゃなかったのか?というと、たしかに高見山は違いました。高見山は力士名鑑でこそ205kgとなっていますが、入幕したころは160kgぐらいだったと思います。身長こそ192㎝と幕内最長身でしたが、脅威を感じるほどの大きさは無かったと記憶しています。

高見山が貴ノ花と並ぶ人気力士となったのも、親しみやすさのある安心感からかもしれません。高見山が入幕した昭和43年、というよりは1960年代ですね、この当時の外国人に対する日本人のイメージというか、接し方も今とは違いました。

だってクイズ番組(視聴者参加型)の商品がハワイ旅行でしたが、「夢のハワイ」でしたから。さぁ「夢」のハワイに行きましょうって、それはアップダウンクイズだけど。

高見山に対しても、「ようこそ、日本へ」という感じだったと思います。そして高見山を見て、「やっぱり外国人は足が長いなぁ~日本人とは違うわ」と思い、派手に投げられれば、「やっぱり相撲は、足が短い日本人向きのものだなぁ~」などと考えていたんじゃないかと。

対する小錦、ギョロっとした目が迫力あって。入幕したのが昭和59年、というより1984年。(なぜか高見山も小錦も、西暦の方が分かりやすい)1984年といえば、日米経済摩擦です。「夢のハワイ」から「日米経済摩擦」。時代は変わっていました。

そして小錦の強さも、充分に摩擦が起きるような強さでしたね。前の場所で全勝優勝した若嶋津の横綱昇進を、吹っ飛ばしましたから。そして千代の富士も吹っ飛ばしました。

今だから思うことですが、このときまで千代の富士の優勝回数は9回、年齢は29歳。「黒船来襲」という言葉には、本当に時代が小錦中心に回って、千代の富士は少しずつ衰えていくのかもしれない・・・というイヤな予感も含まれていたような。

本格的な千代の富士時代が到来したのは、まさにこの翌場所からでした。

力士名鑑 : 小錦 高見山




2件のコメント

  1. 作者は石井代蔵氏かもりたなるお氏か失念したが、以前に読んだ相撲を題材にした小説によると、外国人力士のパイオニアである高見山に対するヘイトは酷いものだった。
    年寄名跡の取得条項に「日本国籍を有すること」という文言が入ったのは、高見山を相撲協会から排除するのが目的だった、と断言していい。
    こんな仕打ちを受けながらも、高見山はいつもニコニコ笑いながら、日本に帰化して年寄東関を襲名、定年まで勤めて現在もお元気だ。

    2017年のモンゴル三横綱プラス稀勢の里時代になっても、帰化条項と一部屋外国人一人まで、という内規?は変更されていない。むしろ協会幹部はより頑なになっているような気がする。

    1. shin2さんへ
      コメント、ありがとうございます。
      高見山の定年前のことですが、九州場所に行ったときに福岡国際センターの入り口にすわって、真っ先に券をもぎってくれたのが高見山でした。大きな声で、「いらっしゃいませ」みたいな感じで、独特のハスキーボイスで声をかけてもらい、うれしかった記憶があります。CMにも出ていてタレントとして充分にやっていけただろうに、指導者としても貢献しました。長い間現役で活躍し、力士として親方として両方で大相撲を支えたという意味では、貴ノ花・魁傑と並んで大貢献者だと思います。
      白鵬の今後など、年寄名跡と国籍の件は見つめていかなければいけないと思っております。

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