羽黒山

栃若時代の花形力士、立浪親方の安念山 はイケメン力士でした





栃若時代の花形力士といえば安念山・・・、というよりも双羽黒事件立浪親方の方が通りがいいでしょうか。とは言え、双羽黒事件もすでに30年前のこととなりました。時の流れは、速いものです。

双羽黒事件のときの立浪親方は当たり前ですが充分にオジサンでしたが、現役時代の安念山はスターでした。関脇在位14場所は「最強の関脇」長谷川が現れるまでの関脇在位記録。金星10個は、出羽錦とともに高見山が現れるまでの記録でした。

長谷川も高見山も、年6場所制以降の力士。安念山の記録には、数字以上の価値はあったと思います。しかしそんな数字で表せる記録だけではなく、安念山には華がありました。181㎝・111kgの筋肉質の体で、美空ひばりを初め女性ファンの人気を集めた力士。

安念山 美空ひばり

昭和32年夏場所に小結で優勝を飾り、すぐにでも大関昇進を期待されます。安念山は左四つで、下手投げと突き落としが得意。足腰は強靭で土俵際での投げの打ち合いなら負けないが、しかしなぜか土俵の真ん中では力が出ないという取口でした。

昭和36年名古屋場所で、四股名を羽黒山に改めます。師匠で名横綱だった羽黒山への改名、しかし安念山の方がイメージは合っていました。改名後すぐが、最後の大関昇進のチャンスだったのですが。

時代は栃若から柏鵬に移り、安念山と同じぐらいの体格の佐田の山栃ノ海が、火の出るような厳しい相撲をとって、あっという間に安念山を追い抜いていきました。安念山には、佐田の山や栃ノ海のような激しさはありませんでした。

ちょうど安念山が羽黒山に改名した直後、追い抜いたまま佐田の山も栃ノ海も大関に昇進しました。まさにノンストップで、佐田の山も栃ノ海も最初のチャンスを逃しませんでした。

実は私の記憶にあるのは、もう羽黒山を名乗っていた安念山でしたが、私の周りの大人は(ほぼ私の両親か祖母で間違いありませんが)「安念山のときの方が強かったねぇ」と言っていたのを覚えています。名門立浪の継承が既定路線となり、それがマイナスだったのかもしれません。

激しさが無いだけに、応援されていたという印象がありました。親方としては色々とありましたが、現役時代は最後まで花形力士だった安念山でした。

大相撲力士名鑑 : 安念山

パワーストーンブレスレット:ローズクォーツで赤房をイメージしました




2件のコメント

  1. ネットの仇名が「残念山」で有名な人ですね。大関昇進を逃した残念ではなくて、双羽黒(この力士も「北尾」のほうが良かったねえ)や、かつて娘婿だった旭豊とのトラブルを揶揄して「残念山」と呼ばれているんだろう。
    引退後のトラブルメイカー(巻き込まれたのもあるが)が有名になり過ぎて、現役時代の花形力士ぶりが完全に忘れられているのは気の毒です。
    立浪親方時代「元安念山」ではなく「元羽黒山」と頑なに表記していた記憶がある。優勝は安念山時代だが「ムコ殿」である以上「元羽黒山」を名乗らなければいけなかったんだろう。

  2. shin2さんへ
    コメント、ありがとうございます。
    字も美しく、音の響きも良い四股名の復活は望むべきことで、羽黒山という四股名も名横綱だっただけに復活を望むべき四股名でしたが・・・なぜか安念山は安念山が似合っていました。四股名の継承が、岳父というのも近すぎたというのでしょうか。それとも安念山という柔らかな音の響きが、安念山らしかったというのもあったでしょうか。

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