若の里

右で怪力、左でも怪力の 若の里 が最も大関に近づいた時





昭和51年生まれの力士の中で、新入幕の頃の印象を思い出すと、若の里が一番強くなりそうだと思った記憶があります。大関を予想させる、若手力士の登場という感じでした。

ウィキペディアを見ると、若の里は左四つの力士になっています。本文の中には右四つだが左四つでもとれるとなっていて、ややこしいですね。個人的には、断然右四つの方が強かったと思っています。左のすくい投げよりも、左上手からの攻めをもっと見たかったですね。

貴乃花への憧れが随所に見える力士でしたので、左でも右でもとれた貴乃花の影響が、若の里本人も知らず知らずのうちに、あったのかもしれないと思ってしまいます。

若の里で今でも忘れられないのは平成16年九州場所の千秋楽、千代大海に敗れて11勝4敗になった直後、技能賞受賞のインタビューを受けなければなりませんでした。

若の里はアナウンサーの質問にまともに返事が出来る状態ではなく、アナウンサーも気を利かせて早々に止めればいいものを、通常の質問を最後まで通しました。

よく「無言を通しました」という敗戦後の力士のレポートはありますが・・・。非常に気まずい雰囲気になったわけで、若の里の悔しさを抑えきれない態度は、もちろん力士としては当然のものでした。それでも関脇で11勝4敗、翌場所は大関取りの場所となりました。

この場所は魁皇の綱取り場所でしたが、朝青龍の7連覇がスタートした場所でもありました。独走の朝青龍の対抗馬として、若の里への期待は大きいものがありました。

そして迎えた平成17年の初場所、若の里は淡々とした中に自信をにじませる受け答えで、大関取りへの意欲を語りました。そして初日、2日目と連勝。特に2日目は前の場所に敢闘賞の若手のホープ、琴欧洲が気の毒になるほど圧倒的な相撲で破った若の里。

この琴欧洲戦の勝ち方で、大関取りの雰囲気は盛り上がりました。そして3日目の垣添戦を迎えます。若の里の立合いは、そのころ効果を見せ始めたカチ上げでした。そして垣添は、少し遅れ目に立ちました。

あっと一瞬、息を飲みました。伸びてしまった若の里の体の下に、垣添がピッタリと張り付くように押し上げました。立合いに自信を持ち始めた若の里のとって、それはショックの大きな黒星となりました。

昭和40年代前後の中腰の立合いの時代なら、確実に大関になっていたでしょう。立合いを自分のものにしていたなら、千代大海・栃東・琴光喜に劣らない実績を残したと思います。

しかし度重なるケガの中でも、さすがの地力で長く現役を続け、上位陣から同世代の力士がいなくなってからも幕内上位で奮戦する姿は、深く心に残りました。

大相撲力士名鑑 : 若の里

 

パワーストーンブレスレット:ローズクォーツで赤房をイメージしました




2件のコメント

  1. 若の里は突き押し相撲、というより引き叩き狙いの力士に弱かったイメージがある。
    朝乃若に対戦成績1勝3敗、闘牙に8勝8敗、豪風に7勝18敗というのは実力から判断して信じられない。
    ケガも多かったのだろうが、この弱点を最後まで克服できずに力士生活の晩年を迎えてしまった。
    かなりの理論派で頭も切れるようだ。今後田子ノ浦部屋の部屋付き親方を続けるのか、注目したいが、誤った選択はしない安心感がある西岩親方だ。

  2. shin2さんへ
    コメント、ありがとうございます。
    引き叩き狙いの突き押し相撲に、かなり弱かったのですね。ここまでとは、気付きませんでした。立合いに関しても、引き叩き狙い力士の駆け引きを苦手にしていた印象でした。これは次回に書く「貴ノ浪」でのテーマにも関係してきます。宇良にも少し、つながります。少し、長文のブログになりそうです。

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