若乃花

北の湖 と昇進前まで互角だったから「弱かった」印象が残った 若乃花 でした





昭和49年秋場所、北の湖が新横綱として登場した場所に若乃花(当時、若三杉)は前頭3枚目で10勝5敗で技能賞、初の三賞を受賞し翌場所には新三役の小結となります。北の湖と同い年。179㎝の北の湖に対し、186㎝という長身でふところが深い若乃花には大鵬のイメージがありました。

不敵な面構えの北の湖に対して甘いマスクの若乃花、北の湖のライバルにピッタリでした。輪湖の優勝タライ回し時代の昭和51年から52年にかけて、若乃花も関脇から大関に昇進します。

そして昭和53年に横綱に昇進するわけですが、当時は人気面でも貴ノ花と並んだように言われていました。長く人気ナンバーワンだった大関貴ノ花に並んでいたかは、正直に言って微妙ですが、女性人気は一番でした。こっちの方は蔵間とナンバーワンを争っていました。

若乃花は横綱昇進までは、北の湖との対戦成績が11勝11敗と完全な五分でした。それが一番の期待の要因で、それに加えてのキャラクターの違い、容姿の違い、相撲のタイプの違いだったわけです。やっと地位で追いついたけど、すでに直接対決では北の湖と互角だという大きな期待。

しかし若乃花は横綱になってから北の湖に連敗、横綱3場所目に雪辱して全勝優勝を果たして期待させますが、次の場所からまさかの5連敗。とにかく横綱になってからの直接対決の、出だしの1勝7敗がすべてでした。

期待は一瞬で、しぼんでしまいました。横綱になったプレッシャーもあったでしょう。大関時代までは北の湖に頭をつけて勝っていたのが、がっぷり四つの機会が増えました。横綱相撲の展開では北の湖の地力に、かないませんでした。それまでが互角の勝負だっただけに、ガッカリ感も大きかったわけです。

とは言え、横綱昇進から3年間は年間70勝以上の安定した成績を上げていて、北の湖に追いつけなかっただけで印象が薄くなった感があります。実際のところ大横綱と呼ばれた横綱と、まったくの同年齢で横綱になった力士の例は無いに等しく、そういう意味では不運だったのかもしれません。

大相撲力士名鑑 : 若乃花

 

パワーストーンブレスレット:ローズクォーツで赤房をイメージしました




2件のコメント

  1. 昭和53年の年間最多勝は北の湖の82勝だが、同年の2位は若乃花の78勝だった(年間2位の最多勝記録)。昨年(平成28年)の年間最多勝の稀勢の里は69勝に過ぎない。
    やはり北の湖のライバルだった輪島が「北の湖さえいなければ、俺はもっと優勝できた」と嘆いた、という話を聞いたことがあるが、同じセリフを一番言いたかったのが若乃花だろう。
    過小評価されている力士ということなら、武蔵丸と2代目若乃花が双璧だろうが、武蔵丸は年間最多勝を2回記録している。
    「史上最強のナンバー2」という、なんか矛盾した称号を若乃花に捧げたいが、現在は市井の人となっている下山氏は、たぶん喜ばないだろうなあ。

  2. shin2さんへ
    コメント、ありがとうございます。
    大関時代の若乃花の北の湖との対戦成績を見ると、横綱昇進後の物足りなさを感じますが、そこは綱の責任を果たしてきた北の湖の偉大さの方を感じるべきでしょう。「最強の力士」のページを作って思ったことは、北の湖の全盛期の若乃花・輪島の存在は、他の大横綱の全盛期と比較すると、非常に手強いライバルでした。改めて、実感します。

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