北の富士 断髪式 タキシード

北の富士 と 前の山 の兄弟弟子の絆は強かった、ということでしょう





軽妙洒脱、粋な雰囲気の北の富士ですが、九重部屋独立話などでは古風な一面も見せていますね。当時の出羽海一門は「分家独立を許さず」、年寄は結集して部屋を盛り上げるという不文律があった時代ですから、独立は一大事件でした。

千代の山に子供のころに声を掛けられたことが、あくまでも大相撲に入門する切っ掛けだった、そして自分が動かなければ、千代の山も独立をやめる、悩んだ末、名門を破門になっても、千代の山に付いていった北の富士。

九重部屋は高砂一門となるわけですが、そこで3歳下の弟弟子となったのが高砂部屋の前の山でした。前の山は昭和45年名古屋場所で13勝2敗、優勝決定戦では北の富士に敗れましたが、場所後に大関に昇進します。

しかし新大関で迎える場所前の北の富士との稽古で、前の山は右足を骨折、新大関場所は全休となり、その後は二桁勝利を上げることもなく大関を陥落します。187㎝の大型力士で、期待が大きい大関昇進だっただけに惜しまれました。

さて時は流れて、北の富士は親方としても二人の横綱を育て、相撲協会でもNo.3、年齢的にも次期理事長候補でした。ここで年寄名跡問題でクーデターを起こしたのが、元前の山の高田川親方でした。

理事選に外された北の富士は、相撲協会を退職。名門出羽海ではなく、高砂一門のそれも新参の九重ということもあったでしょう。さらに原因を作ったのが弟弟子だった前の山。北の富士に相撲協会への未練も、あまり無かったようですね。あの雰囲気そのままに・・・。

こういう土俵外で起きたことは、大相撲ファン側にはよく分からない世界ですが、北の富士と前の山の関係を考えると、微妙というか複雑なものを感じてしまいます。多少は、気まずいのかななどと・・・。

それでも平成19年の夏巡業、「北の富士入門50周年記念旭川場所」の開催に力になったのが前の山でした。その時の前の山に対する、北の富士の謝意が伝わる記事を読んだことがあります。やはりファンにはうかがい知れない、兄弟弟子の絆があったのでしょう。

本来なら、北の富士が相撲協会を定年退職する年のことでした。しかしもし、北の富士の理事長が実現していたら、相撲解説者の北の富士は、存在したでしょうか。たぶん今ごろは、相撲博物館館長になっているかもしれません。粋な横綱、北の富士には館長よりも、やっぱり相撲解説者が似合っていますね。

大相撲力士名鑑 : 北の富士 前の山

 

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2件のコメント

  1. 北の富士氏のスマートで欲のない生き方は、ちょっと真似できない。
    この時期の相撲協会の人間関係については謎も多い。いくらなんでもあっさり退職したのはどうか、とも思うが、たぶん真相を明らかにすることはないだろう。
    相撲解説者としては、ちょっと表層的というか、深い話はしないことに批判があるが、彼が解説を退くと、舞の海氏がメイン解説になってしまうので、それだけはなんとしても防いでほしい。
    75歳の現在でも、テレビの解説中に若いおねいちゃんに写真を撮られるのはこの人ぐらいだろう。健康面の不安はあるが、もうしばらく頑張ってほしい。

  2. shin2さんへ
    コメント、ありがとうございます。
    協会内のことは、さすがに分かりませんし、北の富士も理事長よりは解説者の方が、若手力士の頃から見てきたファンにとっては、しっくり来ます。小学生の時に北の富士のレコードを買ったことがありますが、やはり花形力士ですね。解説も北の富士らしいというか、逆に北の富士が琴錦のような解説をすると、違和感があるでしょうね。北の富士で大相撲を楽しもう、という感じでしょうか。

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