初めて北天佑をテレビで見たのは、入幕直前か新入幕場所のどちらかです。それも当時から「横綱を期待されている」という紹介のされ方でした。
大相撲中継の一場面、それも期待の若手紹介という小さなコーナーなのに、今でも印象に残っています。四股名の由来も、そのときの放送で語られていました。本当に期待の大きな若手力士だと、その由来から感じました。
183cm・139kg、入幕当時はもう少し細かったと思いますが、 肩幅広く重心の低い、見事な筋肉質の体をしていました。新入幕の昭和55年九州場所は、横綱輪島が最後の優勝を果たした場所 です。長かった輪湖時代が終わりを告げる前夜、新しいヒーローを大相撲 ファンは期待していました。
兄弟子の北の湖は仏頂面で、筋肉質ながら体型としてはアンコ型。対照的に格好良い筋肉質の北天佑 は次の時代を背負う存在にピッタリというイメージでした。
立合いに強烈なノド輪で圧倒し、右四つ左上手を引けば、豪快な吊りと投げ がある、「横綱相撲」を若い頃から取っていました。
入幕2場所目の昭和56年初場所は千代の富士の初優勝の場所。25歳の千代の富士と 20歳の北天佑、2人の格好良くて強い力士の登場に大相撲ファンは歓喜 しました。ちなみに兄弟子北の湖も、5歳上の輪島と一時代を築いています。
千代の富士との力感あふれる対決は、見応え充分の相撲でした。写真のように、持ち前の怪力で千代の富士を圧倒する相撲も見られ、両雄が並び立つイメージを描いていましたが、しかしケガもあって千代の富士に 完全に差をつけられます。
時に立合いに頭を下げて前ミツ狙いの相撲を見せる こともあり、若手力士の頃の「横綱相撲」は減っていきます。当時の相撲解説、玉ノ海さんや神風さんに「相撲が小さい」と酷評されていた こと、しばしばでした。
その優しそうな風貌同様に、実際に優しさを感じさせた力士。考えすぎるきらいがあったのでしょう、それが 横綱を逃した一因かもしれません。
入幕と千代の富士の大ブレークが同時期だったのも、その後の千代の富士 との関係を考えると因縁めいていました。「花の38組」が番付を駆け上がる前に、千代の富士と東西に並ぶ綱の姿を見てみたかった・・・綱が似合う力士でした。