白鵬

白鵬 を最初に見た時の衝撃から13年、白鵬は「生ける伝説」になりました





白鵬を最初に見たときの映像は、まだ目に焼き付いています。当時は今ほど、幕下の力士を見ることも少なく、白鵬も幕下の通過が速かったのもあって、最初に見たのは十両の時でした。

それは朝青龍の7連覇が始まる年で、朝青龍のライバル関係にある立場の力士はみんな、朝青龍よりも年上で、明らかに朝青龍と競い合うべき実力の力士が待ち望まれるときでした。

私がテレビの画面を見たとき、すでに白鵬も対戦相手も立ち上がっていて、四つになっていました。白鵬の白くて柔らかそうな体が、少しずつ相手力士の重心よりも下に入り、真綿で包むような四つ身で寄り切りました。

その頃の朝青龍のライバルと言えば、怪力の魁皇・怒涛の寄りと押しの武双山・押しと業師の栃東・突き押しの千代大海。白鵬のような柔らかな四つ身の力士は、もっとも番付を上げてほしいタイプの力士、朝青龍のライバルになって欲しいタイプの力士でした。

その、十両時代の白鵬が相手力士の廻しより、かなり低い位置に腰を割って、相手力士を土俵の外に出したとき、私が思ったことは、「もう少し体が大きかったらな、この体では朝青龍のライバルには、残念ながら物足りない」ということでした。

相撲誌をあまり読まない私は、白鵬の身長と体重の情報を知らなかったわけです。そして相手力士より完全に低くなって寄り切った白鵬の体勢もあって、白鵬が小さく見えたのでした。相手力士が誰だったのか、体の大きさはどれぐらいだったのか、まったく知ろうとしなかったのもありましたが。

視覚を惑わすような、白鵬の寄り身(単に、私の注意力不足とも言えますが)。2場所で十両を通過した白鵬が、190㎝を超える体だと知ったときは衝撃を受けました。ただただ凄い、としか思えません、当時で大相撲観戦が40年ほどでしたが、こんな力士は見たことが無いと感じました。

そしてこの、体のバランスが双葉山に酷似した若手力士は、これからどうなるのだろうと思ったのが、今から13年前のことです。白鵬がどこまで進んでいくのか、当初の衝撃から今に至って、未踏の景色が見えてきた今も「生ける伝説」は、誰も見たことが無い土俵の風景を、いつもの通りに眺めているのでしょう。

大相撲力士名鑑 : 白鵬

 

パワーストーンブレスレット:ローズクォーツで赤房をイメージしました




2件のコメント

  1. 今でも不思議なのは、新十両まで全くマスコミに取り上げられてなかったことだ。
    初土俵の平成13年前後は、各相撲部屋がモンゴル人をどんどん入門させていた頃で、特に異色でもなかった。初めて序ノ口の番付に載った場所は負け越している。幕下まで各段優勝はない。
    新十両は、幕内・十両の定員増のおかけで、東幕下9枚目で6勝でラッキーな昇進だった。
    十両2場所目で優勝決定戦で元関脇の追風海に勝って十両優勝して、初めてマスコミが注目し始めた、と記憶している。個人的な感想は「胸が薄い。輪島に体型が似ている」だった。
    とにかくちょっと類を見ない成長の仕方だ。SNSが発達した現在では「誰にも気づかれず強くなっている力士」はもう出てこないだろう。

  2. shin2さんへ
    コメント、ありがとうございます。
    SNSが発達したために、鶴竜への中傷など、見たくない文章も目にすることがありますね。白鵬の成長過程を見ると、期待が小さかった分、いじられることなく強くなったという感じです。私が大きな期待を持っていた豪栄道が、小さく小さく育てられたのとは、大きく違いますね。

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