北の富士 浴衣

北の富士 が現代っ子横綱と呼ばれた時代、この時代の子供達から大相撲は変わっていく





教育評論家の阿部進さんが亡くなられました。ご冥福を祈り致します。新聞で記事を読んで、私の世代は本当に懐かしいと思った人が多いでしょう。

私が小学生の頃、本当にテレビによく出ていた人でした。ちょうど少年ジャンプが創刊した時で、「ハレンチ学園」が衝撃的に始まったわけですが、これを擁護した人とは知りませんでした。当時の衝撃を思い起こします。

「現代っ子」という言葉を作った人として有名ですが、私の世代がまさに現代っ子世代になるのでしょう。ちょっと変なのは、この時代の横綱北の富士が「現代っ子横綱」と呼ばれていたことです。

北の富士は小学生でもなく(当たり前ですが)、銀座でモテていた、勝つときは派手だが負けるときはアッサリとしていた、という理由でそう呼ばれていたと思われます。

そしてこの時代、「現代っ子」という言葉に少し遅れて、「肥満児」という言葉が出てきます。これが本格化するのは、ファストフードが日本に上陸する1970年代です。

私の世代も肥満児という言葉に引っ掛かっていますが、ファストフードとともに日本人の食生活が大きく変化する時代に発育期を過ごすのは、私の少し後の世代です。大相撲で言えば、大乃国・双羽黒・北勝海・小錦(小錦は生まれた時からか)の世代です。

その前の世代の横綱、二代目若乃花も千代の富士もBMIが40以下の横綱でした。千代の富士と同い年で朝潮がいますが、ですから朝潮が力士の重量化の先駆者と位置付けて良いでしょう。

ハワイ力士に対抗するために、貴乃花を初め、日本人力士が体重を増やしたという言説があったかもしれません。しかし、力士の重量化は朝潮から始まったのです。(断言してしまってます)北の湖も、本当に太ったのは現役晩年です。

北の富士の世代は太りたくても、なかなか太れなかった世代。そして大乃国や双羽黒の世代から、太りたいと思えばすぐに太れるように、日本人の食生活とともに体質そのものも変わったのかも知れません。

阿部進さんがテレビに出ていた時代は、時代の変わり目であり、実は大相撲にとっても大きな時代の変わり目、相撲内容の変革につながったのでした・・・若干、話が大きくなってしまいました。

大相撲力士名鑑

 

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2件のコメント

  1. 北の富士は「現代っ子」というより、旧世代(「無理ヘンに拳骨」世代)の最後の横綱(玉の海・琴櫻も含めて)と考えます。
    兄弟子の可愛がりで入院→本場所全休まで追い込まれた、というエピソードを名古屋場所の解説中に話しておられた。半世紀以上前の角界は怖いところだったが、ご本人は20代から75歳の現在に至るまで立ち居振る舞いもスマートで、見た目も綺麗なままなので、そんな理不尽を乗り越えてきたイメージは全く感じさせない。大相撲の暗いイメージを変えた功労者です。

    「現代っ子」という言葉がやや古くなったころに上がってきた輪島が、角界の「現代っ子」だった。ザンバラ髪ではなくパーマのかかった髪型で土俵に上がったり、リンカーンに乗って高級大型犬グレートデーンを飼う姿を堂々と見せる。「関脇でリンカーン乗るなら、横綱になったら戦車に乗るのか」という嫌味な記事を見た記憶がある。
    ただ引退後の輪島の人生を見ると、失礼ながら単なる変わり者だったのかも知れない。また師匠の花籠親方の指導方針も、輪島にとってはベストだったとしても、今にして思えば正解だったのかなあ、と疑問に思うこともある。

  2. shin2さんへ
    コメント、ありがとうございます。
    北の富士の場合はマスコミや玉ノ海梅吉さんが、そのイメージ形成に影響を与えている感じがします。北の富士自身も、「島ちゃんの方が時代に順応していて、俺の方がよっぽど古風だったよ」と述懐しています。見た目のイメージというのでしょうか。そして私は輪島を以前に、その下手からの攻めへのこだわり、無精ひげと猫背、これだけのことで当時の学生運動になぞらえて、反逆のイメージでブログを書いたことがあります。これも単に、私の見た目のイメージでしかありませんでしたが。暑い名古屋場所、輪島はエアコン完備のホテル住まいをしての場所入りでしたね。

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