沖ッ海

沖ッ海 は当時の平均身長を考えたら、今の白鵬くらいのサイズだったでしょうね





久しぶりの力士名鑑の更新ですが、昭和初期の力士、沖ッ海です。今から84年前、昭和8年の9月にフグによる中毒で23歳の若さで早逝しました。武蔵山より1歳若く、双葉山よりも2歳年長の力士でした。

21歳10か月での幕内優勝は、21歳5か月で優勝した武蔵山に次ぐ、当時第2位の幕内優勝の年少記録でした。玉錦全盛の時代に、新時代の到来を予感させる力士として登場しました。

沖ッ海の182㎝・116kgの柔らか味のある体躯は、185㎝・116kgで筋骨隆々とした武蔵山と対照の妙もあり、当時の大相撲ファンの夢を膨らませたと思います。

左四つからの下手投げが得意手とされていますが、すくい投げも得意で、その柔らかさが想像されます。一度、YouTubeでほんの数秒間、沖ッ海の相撲を見ましたが、たしかにスケールの大きな柔らかい相撲でした。

喧嘩四つの右四つからの、怪力の右腕と強靭な足腰での相撲の武蔵山。その相撲の違いもまた、ファンにとっては興味を引いた取組だったでしょう。記録としては、沖ッ海の3勝4敗1引き分け。

「相撲の神様」、幡瀬川と沖ッ海は親友で、沖ッ海が亡くなった時に幡瀬川も同席していました。沖ッ海は幡瀬川には4勝2敗。取口は闘志に溢れていたものの、普段は物静かなで、それがまた追慕の念を深くさせたと言われています。

沖ッ海 幡瀬川

今より一般人の平均身長が10㎝以上も小さかった時代に、武蔵山と沖ッ海は大きく感じられたでしょうね。179㎝・128kgの双葉山も、当時としては充分に大きかったとは思いますが。

沖ッ海は23歳で亡くなり、武蔵山は沖ッ海との2度目の対戦の時に痛めた右腕の故障のため、以後は低迷します。双葉山の69連勝が始まった時、沖ッ海は生きていれば25歳、武蔵山は26歳で番付では新横綱の場所でした。

「もしも・・・」などということは、言い出したらキリが無いので言いません。しかし絢爛豪華な土俵が展開されていたことでしょう。それよりも興味深いのは、武蔵山・沖ッ海ともに下手からの攻めが得意手だったことです。

「下手からの攻め中心の力士は大成しない」という言葉は、当時も有ったのか? 少し前の大関清水川は上手投げが伝家の宝刀でしたが、映像に残っているのは出羽ヶ嶽を差し手を突きつけて寄り切っている相撲です。

ひょっとしたら下手からの吊り寄り、そして下手投げがむしろメジャーな取口だったのかも、という可能性も無いことは無いでしょう。双葉山以降、羽黒山・安藝ノ海・東富士・千代の山・力道山・若乃花という上手投げの力士が増えているようにも思えますが、双葉山登場以前の映像が少ないのがやはり残念ですね。

大相撲力士名鑑 : 沖ッ海

 

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