琴錦

琴錦 「オレが一番強いと思った」と何かで言ってたような





惜しくも大関を逃した関脇として、長谷川と初代栃東をコラムにしましたが、両力士ともに昭和47年に優勝しています。 大相撲が年六場所制になって、年間の優勝力士が各場所すべて異なっていた年が2回あります。長谷川と栃東が優勝した昭和 47年、そしてもう1回は平成3年です。この平成3年の秋場所、琴錦は前頭5枚目で初優勝します。

平成3年はまさに過渡期でした。横綱千代の富士・大乃国が引退、翌年引退する北勝海・旭富士の両横綱は春・夏にそれぞれ優勝しますが後半3場所は不調や休場、そして大関の小錦と霧島が1回ずつ優勝しています。若貴・曙が新三役として登場するのも平成3年です。

「自分が一番強いと思っていた頃があった」と琴錦が後に語っているのは、この頃のことでしょう。大関どころか横綱も狙えた実力者でした。

F1相撲と呼ばれましたが、その速さと巧さもさることながら、発達した肩の筋肉も見事で、177cm・142kgでしたが、中身の詰まった体でした。ぶちかましからの突き押し、前さばきも巧く、F1相撲といわれた所以ですが、柔道出身で組んでも強い万能型。

優勝した翌場所の九州でも、琴錦は千秋楽まで小錦と優勝を争います。14日目に小錦を破り12勝2敗と並んだ琴錦は、小結ながらも連続優勝ならば二階級特進での大関昇進が見えてきました。しかし千秋楽に新小結の若花田に痛恨の黒星。当時の稽古場では若貴・曙を圧倒していただけに、悔やまれる敗戦でした。

13勝2敗で優勝したときも、2敗は貴花田と若花田に喫したものでした。そして優勝・準優勝と続いて、大関昇進へ大きな期待で迎えた平成4年初場所、初日に貴花田、2日目に若花田とまたも連敗し最大のチャンスを逃します。

琴錦の大関の座は、若花田・貴花田に阻まれたようものでした。平成4年初場所は、貴花田が14勝1敗で初優勝、曙が13勝2敗で準優勝、 若花田も10勝を上げ、若貴・曙時代の幕が開きます。琴錦は7勝8敗。それでも曙には土をつけ意地を見せましたが・・・。

この平成4年、秋場所に貴花田は2度目優勝を果たしますが、琴錦は11勝4敗で準優勝。翌九州場所では、千秋楽まで13勝1敗で曙と並び、再度優勝のチャンス。しかし千秋楽、貴花田に破れます。

平成3~4年は琴錦と若貴・曙、そして小錦の競い合いでした。貴乃花が平成の大横綱と呼ばれる時代の、その夜明け前の出来事です。

後のインタビューなどで、「大関が懸かると足が震えるほどの緊張する性格で、大事なところで力を出せなかった」と述懐していますが、攻め込んでの負けという、相撲に勝って勝負に負ける典型で、琴錦には「惜しかったなあ」と思った場面の記憶が数多く残っています。大関昇進も、同様に「惜しかったなあ」でした。

そして平成10年九州場所、平幕で2度目の優勝。これは平成4年秋場所から始まる、貴乃花・曙・武蔵丸・若乃花・貴ノ浪の6年1場所にわたる、長期の優勝独占時代を終わらせた優勝でした。まさに、一つの時代の始まりから終わりまでを駆け抜けた、名関脇でした。




力士名鑑琴錦

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