玉の海

双葉山の再来と呼ばれた、玉の海 がいなくなって46年の歳月が流れました





玉の海については今まで相当数のブログを書いてきましたが、このブログを始めての最初の10月11日ということで、玉の海に関して書こうと思います。

相当数のブログとはいえ、46年の時間を経て、その時間の経過とともに考えることはあります。つまりは、玉の海の記憶が薄れていく、というか不正確なものになっていく感じ・・・。時とともに風化する部分は、やはり記憶のメンテナンスが必要です。

先日の「大相撲総選挙」でも玉の海は出てこなかったし、ネット等で「最強の力士」と検索しても、玉の海について検討している記事は目にしない。玉の海を懐かしむ記事でさえ、玉の海を過小評価していると感じてしまうことがあります。

「双葉山の再来」、後にも先にも、そう呼ばれた力士は玉の海しかいません。そしてほんの6場所ほどでしたが、実際にそう呼ばれるに相応しい相撲を見せた玉の海。大相撲史上最大の悲劇とも言われたことだけに、人々の記憶に留まることを避けられているのでしょうか。

玉の海 北の富士

玉の海と北の富士の、幕内初対戦の一番です。北の富士を吊り出す玉の海、この当時の体重は90kgを超えていなかったでしょう。見ての通り、下手一本での吊り。つまり廻しを引き付けての吊りではなく、腰で吊った吊り出しです。

入幕時は、もちろん小兵力士の部類。それでも大きな、歯切れの良い相撲をとりました。勝つために小さな相撲に変えることもなく、勝つために体を大きくすることもせず、ひたすら自分の相撲を磨きました。

小さな体で新弟子の頃から磨き上げた四つ身は、比類のない天下一品の四つ身になっていました。足腰の柔らかさ、重心の低さ、アゴの締め具合、胸の合わせ具合、肩幅の使い方・・・。

もっとも近づいた力士を上げると貴乃花、しかし貴乃花は足が長かった。貴乃花はそれを技術でカバーし、重心の低い四つを完成しましたが、やはり微妙な違いがありました。もちろん、どちらが強い弱いの話ではなく、四つ身の型の話です。

177㎝・134kgの体で吊り出しを得意手にしていたことから、玉の海は腕力に長けていた、という記事もありました。しかし玉の海は、腕力の方は非力で、あくまで腰で吊るという吊り出しでした。そういう間違った情報も、46年経つと出てくるものでしょうか。

年々、風化する記憶のメンテナンス。それを考えると、機会がある際には玉の海のブログを更新していくべきでしょう。「瞬間最大風速」では、大相撲史上でも卓越した記録を残した玉の海。これからも、コツコツと忘れた頃に書きましょう。

大相撲力士名鑑 : 玉の海

 

パワーストーンブレスレット:ローズクォーツで赤房をイメージしました




砂かぶりの夜

2件のコメント

  1. 27歳で早世したこと、全盛期が短期間であることを考慮に入れても、玉の海の評伝やドキュメンタリーが少なすぎる。ウィキペディアによると、彼の出自や家族の問題が足枷になっているのだろうが、もう亡くなってから半世紀になる。それとも半世紀では解決しないような難しい問題が立ち塞がっているのか。
    せめて法要のニュースぐらいは報道してもよかろう。片男波部屋では毎年営まれているだろうと思うが、あまり目にすることがない。同時期に活躍し亡くなったボクサーの大場政夫氏に比べて不遇過ぎると感じる。

  2. shin2さんへ
    コメント、ありがとうございます。
    玉の海の新弟子時代を知る関係者から北の富士に至るまで、克明に取材したノンフィクションがあればと思います。玉の海の四つ身や吊り出しの美しさと、大場政夫の逆転KOの美しさには、切ないほどの儚さを含んだ美しさがありました。

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