玉の海 ジャージ

玉の海 の不知火型土俵入りと小坂秀二氏と北出アナウンサー





玉の海がジョギングを稽古に取り入れていたのは有名な話ですが、このジャージ姿はまったく問題なかったでしょう。このまま夜の巷に繰り出す気配もないし。ひょっとすると、この格好でも50年前なら最新のファッションだった可能性も有るが。話はジャージではなく、不知火型の土俵入りについて。

元アナウンサーで作家の小坂秀二氏(同期はナント、あの北出アナウンサーです)が、あるとき玉の海からこう問われます。「自分の土俵入りで、気が付いたことがあったら言ってくれ」と。

「天下の横綱が、一介の相撲ファンにこういう態度をとるとは」と戸惑い、恐縮して答えなかったものの、再度玉の海に「長年、いろいろな横綱の土俵入りを見てきた目から是非」と求められます。

そこまで言われればと、「せり上がりのスタートの手の位置は、下段の構えだから低すぎる。少なくともヒザよりも上からせり上がるべき」と答えたそうです。ちなみに白鵬や日馬富士は手の位置が低過ぎ、背筋も真っすぐではない。(日馬富士は過去形だが・・・)

玉の海 不知火型土俵入り

玉の海はその日の土俵入りから、そのアドバイスを実行します。その謙虚さとともに、良しと思えば即日実行できる運動神経に感嘆した、という小坂氏のお話でした。

小坂氏も、そして玉の海も、互いに謙虚であるという点で共通しています。ワイドショーなどでベテラン相撲記者や元アナウンサーの発言を聞いていると、この謙虚さが欠けていると思ってしまいます。テレビでの発言は、多少の受け狙いで強めの言い方をしているのかもしれないが。

ところで前述の北出清五郎アナウンサー、私にとっては今でも一番です。柏鵬時代・北玉時代の名調子はもちろんですが、札幌冬季オリンピックの日の丸飛行隊の金・銀・銅を独占した実況、「飛んだ、決まった」も素晴らしかった。

受け狙いというと言葉が悪い、気の利いた表現と言えば良いか。そういう実況よりもストレートでシンプルな「飛んだ、決まった」の感動は大きかった。個人的には「栄光への架け橋だ」的な名台詞よりも感動する、あくまでも個人的には。

大相撲では北の富士と玉の海(当時玉乃島)の横綱昇進を懸けた千秋楽、本割で玉の海が勝ち、優勝決定戦では北の富士が勝って優勝が決まった瞬間、「続けて2番は勝てません、両者の実力は互角」と北出アナ。

このストレートでシンプルなアナウンス、しかし前場所に10勝5敗だった玉の海の横綱昇進を大きく後押しした実況だったことは言うまでもありませんでした。

 

大相撲力士名鑑 : 玉の海




2件のコメント

  1. 北出アナ、確か1964年の東京オリンピックの開会式の実況もされていたはずで「戦後の日本」をテーマにした番組では必ず声を聴くことができる。アナウンサー冥利に尽きるだろう。
    それにしても、NHKのスポーツアナは守備範囲が広い。大相撲とスキーのジャンプに精通している人、身の回りにいないぞ。

    >>「せり上がりのスタートの手の位置は、下段の構えだから低すぎる。少なくともヒザよりも上からせり上がるべき」と答えたそうです。ちなみに白鵬や日馬富士は手の位置が低過ぎ、背筋も真っすぐではない。
    今まで白鵬や日馬富士の土俵入りを観て、ずっと違和感があったのだが、これだったのか。
    玉の海は早世したが、長く横綱の地位にあれば、不知火型は「玉の海型」がスタンダードになったのに、と悔やまれてならない。
    初代若乃花の二子山親方の名言で「好きにやれ。横綱がやれば、それが横綱土俵入りだ」というのがあるが、やはり何事にもスタンダードは必要だと考えます。

  2. shin2さんへ
    コメント、ありがとうございます。
    冬季オリンピックが近づくと、このときの北出アナの名実況をふと思い出します。1972年の札幌は、考えてみれば玉の海が亡くなってから数か月後の出来事でした。それを考えると、切なさと同時に、北出アナの実況で玉の海の相撲をもっと見たかったと改めて思います。玉の海の不知火型の土俵入りは、おごそかな型と美しさが渾然として素晴らしいものでした。いつか、継承されて欲しいと願っています。

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