玉の海 不知火型土俵入り

栃ノ心 に絡んで玉錦と玉の海と北の湖のお話を、ちょっと宮原知子も





平昌オリンピック女子フィギュアスケートは記憶に長く残る、感動的なものになりました。しかし、最高の演技をした宮原知子に「残念な結果に・・・」とインタビューした人は・・・何だかなぁ・・・。

それはともあれ、栃ノ心に絡んで栃ノ心とは関係ない話を取り上げる第2弾。栃ノ心を怪力と呼んでほしくない、という先日のコラムについての補足説明のような、違うような話ですが。

玉錦

玉錦の四つ相撲、相手は武蔵山です。185㎝の武蔵山の得意の右下手に対して、盤石の玉錦は173㎝。昭和初期の大一番。玉錦の、胸の合わせ方がキレイです。

昭和初期の大相撲を特集したDVDで、元前頭桂川が玉錦のことを以下に語っています。「強かったねぇ、真鶴が両差しになって、玉錦は廻しを引けなくても、ドンと構えたら動かないんだもん」

真鶴とは184㎝で113kg、吊りを得意とした力士。素行が悪くて小結止まりでしたが、昭和初期では大型で柔らか味のあった力士、両差しになると相当に強かったはず。しかし、さすが時代を創った横綱は守りも盤石だったようですね。

以前にブログのやりとりで、ある方から「朝青龍と玉錦は似ていると思いませんか?」と問われ、「風貌だけでなく表情も、性格も似ていたかもしれません」と答えました。そして・・・。

「しかし朝青龍は強いですけど、胸の合わせ方は巧いとは思いません。守りの強さは、玉錦が上だったと思います」、と続けました。もちろん、数少ない映像や画像からの想像ですから、という前提での話ですが。

玉の海 北の富士 がっぷり四つ

こちらは玉錦の孫弟子、玉の海の四つ身。相手はご存知、北の富士です。185㎝の北の富士に、177㎝の玉の海。北の富士得意の左四つに、上手を引けずとも胸を合わせて応戦する玉の海。

北の富士の左は堅く、ほとんどの対戦が左四つだった両雄の取組。それでも対戦成績はほぼ互角。速攻で北の富士、四つで止まったら左四つでも玉の海という展開でした。

年齢は北の富士が二つ上でしたので、対戦成績がほぼ互角で終わったということは、玉の海が現役をまっとうしていたなら玉の海優勢となっていたでしょう。

ちなみにリアルタイムでは、玉の海よりも華やかな相撲の北の富士の圧倒的なファンであった私が言うのですから、間違いありません。余談ですが、北の富士が同じ「北」が四股名に付く北ノ国に負けたときに悔しいと思ったことがあります。

この対戦は昭和39年の夏場所のことです。昭和39年10月の東京オリンピックが、テレビの最初の記憶と思っていた私ですが、調べてみるとテレビ最古の記憶は「北の富士ー北ノ国」と判明しました。これは余談というよりも蛇足だ。

辛口解説と言われる北の富士が、しかし自分の相撲に関しては極めて謙虚なのは、四つ相撲で動きが止まったら玉の海に勝てなかった、というのが大きいと思います。

自分の速攻相撲には自信とプライドを持って語る北の富士ですが、それが「横綱相撲」という話になると、それは玉の海の相撲であって自分は違う、と認識しているように感じます。

ところで玉錦と玉の海の、上手を欲しがるように腕をだらんとした体勢、これは下半身に重心を下ろしているために上半身の力が抜けていると判断して良いでしょう。

同じような体勢は、北の湖にも記憶がありますね。北の湖は確か、腰で相撲をとる力士と呼ばれていました。重心の低い、素晴らしい四つ身でした。

こんな体勢は、青汁を飲んでいる解説者なら「ダメですよ、おっつけないと」って言いそうです。今はこの体勢を見なくなりました、白鵬も把瑠都相手だと頭を付けていたりしたから。

ということで栃ノ心の「怪力」を強調してほしくないのは、四つ相撲をとれる力士は「怪力」という認識はして欲しくないからです。やっぱり、「腰で相撲をとる」ということで。

しかし今後、上手が引けない時に胸の合わせ方の巧さと腰の強さで対応できる力士は、果たして現れるのだろうか? 「胸の合わせ方が巧い」という言い回しも、最近は聞かないし。

大相撲力士名鑑 : 玉錦 玉の海 北の湖




砂かぶりの夜

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