稀勢の里 割り出し

一片の悔いも無い、稀勢の里へ、応援してきた私も一片の悔いも無い





稀勢の里が引退した。「一片の悔いも無い」という言葉。これは、常に精一杯のことをやり切ってきた、と私は解釈している。そして、ずっと稀勢の里を見続けてきたイチファンとしての私も、一片の悔いも無いと感じる、応援してきて。

以前のブログ(砂かぶりの夜)では48回も更新して、そのほとんどが技術的な不満。今のブログでは、私は結構力士をほめている。以前のブログは辛辣だった、言葉は今よりも丁寧だったけど。しかし横綱に上がる頃には、私が文句をつけたところを出来てしまっていた稀勢の里だった。短かったが。

3歳から12歳ぐらいまで熱狂的に大相撲を見ていた私も、青年期になれば多少は大相撲に対する熱量も下がる。それでも、輪湖・千代の富士・曙貴と見続けてきて、朝青龍時代になって相撲が淡白になってきて面白くなくなっていると感じた。40歳を過ぎた頃だ。

「面白くない」が、ブログを始めるキッカケだった。相撲だけではなく、優勝争いも面白くない。朝青龍独走の上に、当時の上位陣は朝青龍よりも年長力士。だから、稀勢の里への期待は半端なく大きかった。

貴乃花に次ぐ年少記録での出世で、ライバルが2メートルを超える琴欧洲。だったら、貴乃花と、2メートルを超えてた曙を思い起こすのは致し方なかった。貴乃花と曙に重ね合わせる物語、しかし一歩前に白鵬がいた。

当時は「白鵬はいないフリをして」、稀勢の里と琴欧洲のライバル物語が始まり出しそうだった。NHKのアナウンサーなんかの言い回しも。しかし白鵬の強さもまた、半端なかった。

白鵬だけじゃない、日馬富士もいて、琴奨菊と豊ノ島もいた。後から把瑠都・鶴竜・豪栄道が追いかけてきた。若ノ鵬の凄かった。少し年上だが露鵬も強かった。

年少記録とはいっても、北の湖や貴乃花の駆け上がり方のような華々しさはなかった。同世代が強かったからね。当時のことを考えると、正直、横綱は厳しいと思っていたかもしれない、私は。

腰高の稀勢の里は、四つになってから相手を起こさなきゃならないのに、特に把瑠都なんかフトコロが深いし、左を差しても「のれんに腕押し」で手応えなし。勝てなかったなぁ。同様に琴欧洲にも、逆に重心の低い琴奨菊にも分が悪かった。

だから、横綱にまでなったのは、凄いと思う。私も「一片の悔いも無い」と感じているというのは、そういう意味でだろう。何か、ダラダラとしたコラムになったが、酔いも回ってきたし、今日はこんなもんだ。・・・お疲れ様でした、稀勢の里、ありがとう。

大相撲力士名鑑 : 稀勢の里




2件のコメント

  1. >>稀勢の里を取材した日刊スポーツ記者が、とっておきの秘話を紹介する。
    >>感動的だった17年春場所の横綱初優勝の後、協会に「左大胸筋損傷、左上腕二頭筋損傷で約1カ月」の診断書が出された。しかし、大阪から帰京後により詳しく検査を受けると、左腕は筋断裂していた。それも、手術をしようにも、できないほどの大けが。完治はおろか、10ある力のうち、6割出せればいい方だった。
    >>https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201901170000017.html
    これ断髪式まで黙っていたほうがよかったんじゃないか。場所中は早すぎる。

    最後の対戦相手は若手の有望力士でお願いしたい、という意見も目にしたが、栃煌山がベストだったと思う。丁寧な相撲だった。稀勢の里への敬意も感じられた。

  2. shin2さんへ
    コメント、ありがとうございます。
    私も、稀勢の里の最後の相手は栃煌山で良かったと思います。あの左おっつけを巻き替える、あれは栃煌山の巻き替えが一番、何というか象徴的なシーンだったと思いました。もう伝家の宝刀もダメなんだ、と分かりやすく伝えた場面でした。

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です