豪栄道

私のかつての一番のブログネタだった豪栄道 が引退・・・しても稽古場では強そうだ、稀勢の里と三番稽古なんてね





豪栄道が引退した。昭和の多くの大関のように、陥落と同時に身を引いた。令和の今では、意外な印象さえ感じる引退。「これで昭和が終わった」とか「平成が終わった」というフレーズがよく安売りされるが、豪栄道の引退は、私に「平成の終わり」を感じさせる。稀勢の里の引退の時も、そんなことは書かなかった。

今のブログでは9本のコラムしか書いていないが、以前のブログでは45本の豪栄道のコラムを書いている。内容は、「打倒朝青龍・白鵬」的なものばかりだった、と思う。白鵬が横綱に昇進した翌場所に、豪栄道は入幕した。

当時は今の状況のスタートみたいな、力士の体重は増えて、突き押し相撲が多くなっていく状況の中、朝青龍が大きな力士をあしらう時代だった。取組の時間も短くなっていた。そこに現れたのが、朝青龍とほぼ同じ体のサイズの豪栄道だった。

当時のブログでは朝青龍時代の相撲を「淡白な相撲」と表現し、豪栄道にその状況を変えてほしいという内容のコラムを書いていた。かなりの熱量で書いているし、今読み返すと恥ずかしい。「大相撲になりました」を始めて、本当に良かったと改めて思う・・・というほど、今のコラムが恥ずかしくないとは言えないが・・・。

思い返すと、豪栄道に望んでいたのは「千代の富士」的な取口だっただろう。突き押し相撲をあしらう朝青龍の、その前廻しをガッチリと握り、朝青龍の嫌がる相撲を取るイメージが出来ていた。白鵬と四つになっても、廻しの位置が白鵬よりも低い、という場面を想像した。

だが豪栄道の「千代の富士」的な相撲は、前回のコラムで私が書いた「謙虚な相撲」という感じだった。前廻しを狙うが、当たりは弱かった。そして境川親方や舞の海は、「上背が無いから、頭を付けないと」と繰り返し語っていた。

私の考えでは、頭を付けるというよりも、アゴを引くという感じ。そう、13日目の栃ノ心戦のような。あれは会心の一番だった。もちろん、強引な下手投げ、相手の突き手を引く独特の引き技、捨て身の首投げ・・・これだけ悪癖が多くて大関に上がった力士も珍しい。それだけ強かったわけだ。

全勝優勝の場所は本当に強かった。新入幕場所では、吊り出しも見せていた。実際の決まり手は、寄り切りになっていた記憶があるけど。可能性の大きさは私にとっては、日馬富士より稀勢の里より鶴竜より、琴欧州より把瑠都よりも大きかった。つまり白鵬に次ぐ、No.2だった。

しかし、大関在位33場所は見事な記録だし、大関になる前には関脇を連続14場所も勤めた。大相撲史に残るほどのモンゴル人力士全盛時代に奮戦した日本人力士として、ファンの心に深く刻まれる大関。引退しても稀勢の里みたいに、稽古場で強そうだな。お疲れさまでした。

大相撲力士名鑑 : 豪栄道




2件のコメント

  1. 首投げで24勝、その中には白鵬・日馬富士・稀勢の里戦を含む。
    >>http://sumodb.sumogames.de/Rikishi_kim.aspx?r=6468&l=j#0%E3%81%8F%E3%81%B3%E3%81%AA%E3%81%92
    「突き落とし王」が徳勝龍なら「首投げ王」は豪栄道だろうが、あまり名誉なことでもないか。
    稽古場の強さが最後まで本場所の土俵で100%発揮されることはなかった。2場所続けて2桁勝利もほとんどなかった。大関で全勝優勝しているが、前後の場所が7勝・9勝では横綱の声もかからなかった。

    >>引退しても稀勢の里みたいに、稽古場で強そうだな。
    出羽一門なら御嶽海を鍛えてほしいが、荒磯親方は一門外の朝乃山を鍛えているから、伸び悩みの若手力士なら誰でも構わない。
    解説は上手いだろうか。ちょっと楽しみにしている。

  2. shin2さんへ
    コメント、ありがとうございます。
    徳勝龍の突き落としは、胸の合わせ方の巧さからきているのではと思います。稀勢の里の怪力の左の突き落としとは違う、テクニカルなものを感じます。首投げと言えば、私の子供の頃は、当時の幕内一番の小兵力士だった海乃山。曲者の使う決まり手という印象でしたが、豪栄道の場合はどうでしょう、もともとの運動能力の高さ、言葉を変えれば「ケンカの強さ」みたいなものを感じましたね。そして我らが千代大龍に「引き・叩き王」の称号が付かないのは、自らも引かれ・叩かれするからでしょう。もっと精進を。

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