朝潮

朝潮 が定年を迎える、太っていて、引き技が巧い、その元祖的存在なのか、検証してみたくなった





高砂親方、元大関朝潮が九州場所後に定年を迎える。朝潮と言えば、まずは「北の湖キラー」。長かった北の湖時代のピークだった昭和53年に、朝潮は初土俵を踏む。北の湖が年間最多勝の記録を更新した九州場所で朝潮は新入幕。私事だけど、忘れもしない、福岡は大渇水で夜遅くに給水車に並んだ、私18才の冬。

朝潮は昭和56年の名古屋場所で、新関脇で11勝を上げるのだが、その上その前場所は小結で10勝5敗、その前は前頭2枚目で10勝していた。当時は、まさにバリバリの期待の若手力士だった。

しかし同い年で、もっと凄いのがいた。この場所、前頭2枚目で9勝6敗の千代の富士が、実はここで覚醒していた。そのまま、ノンストップで横綱にまで到達してしまったのだ。

朝潮は小休止、「北の湖キラー」ぶりは健在だったけど。引き技での白星が多かったのが、ちょっと微妙な雰囲気を醸し出していたな。朝潮は凄いな、って感じにはならなかった。

まぁ、朝潮に喫する黒星が、北の湖にとっては優勝争いで致命的な黒星となり、朝潮にとってはライバルのはずの千代の富士の綱とりのアシストを、朝潮自身がしていたわけだった。

千代の富士の涙の横綱初優勝も、決定戦の相手は朝潮だった。立合いから一気に押し込む朝潮、土俵際で廻しを引いた千代の富士は「廻しを引いたら、負けるわけない」って感じで、朝潮の巨体が浮かび上がるほどに引き付けて寄り倒した。千代の富士強い!!、と思わせるに充分の一番だった。

いしいひさいちの漫画「ワイはアサシオや」は、本当に面白かった。その影響もあってか、「大ちゃん」の愛称に相応しい、人の良いイメージが、ずっと付いていたかな。千代の富士のアシスト役だし。

「北の湖キラー」の決まり手で多かった引き技。土曜日にNHKでやる叩き込みをテーマにする番組、強引な引き技からテクニカルな引き技に移行する、その節目は朝潮だったのかもしれない。違うのかもしれない。今考えてみると、結構鮮やかな引き技だった記憶もある、ような気がする。

豊山、輪島から朝潮と、ほぼ10年に一人のペースで、横綱もしくは横綱を狙える大関が登場して、これからもそうなのかなぁと、何となく思ってたな、当時は。

そして豊山と輪島が昭和的な体型だったのに対し、朝潮は身長よりも体重の数字がデカかった。学生出身力士は体重があって引き技が巧い、そのパイオニアが朝潮だったのかな。朝潮だけに、新しい潮流を作ったのかな・・・面白いとは、全然思ってないよ、自分でも。

大相撲力士名鑑 : 朝潮




2件のコメント

  1. 大関朝潮というと、ぶちかまし「土俵の流血王」というイメージで、決まり手は突き押しが大半だと思い込んでいたが、寄り切りが一番多い。
    >>http://sumodb.sumogames.de/Rikishi_kim.aspx?r=1379&l=j
    叩き込みも寄り切り・押し出しに次いで3番目に多いが、寄り切り・押し出しの三分の一だ。得意技ではあるが、舛田山・闘牙・若荒雄系の狙って決めるタイプとは異なるような気がする。
    対北の湖戦も、
    >>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%BD%AE%E5%A4%AA%E9%83%8E_(4%E4%BB%A3)#%E5%AF%BE%E6%88%A6%E6%88%90%E7%B8%BE
    初顔からしばらくは突き落とし・引き落としで勝っていたが、北の湖の衰えに伴い押し出し・寄り切りで勝てるようになった。北の湖・朝潮戦でがっぷり四つのイメージがないので、朝潮が体重を生かして圧倒したのだろう。

    昭和53年の10月、高校2年生の私は修学旅行で九州へ行った。博多駅のトイレの水道の蛇口が針金でグルグル巻きにされていて「あしたのジョーの減量中の力石みたいだ」と思ったこととか、「ワイはアサシオや」のタコサゴ親方を懐かしく思い出した。

  2. shin2さんへ
    朝潮は、寄り切りが一番多かったのですね。寄りも突き押しものオールラウンド、その後の雅山から現在の学生相撲出身力士につながる系譜の、朝潮が原型と言えるかもしれません。正代の相撲は、学生相撲としては異端でしょう。オールラウンド以前の相撲、それが出来るのも実力があるからでしょうか。「ワイはアサシオや」、一番笑ったのは、若嶋津ばかりの声援に対して、仕切っていた朝潮が自分で「アサッシオー」と叫ぶ場面ですね。

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