千代の富士 北の富士

千代の富士 は1980年代の日本とともに歩んだ、時代を象徴するスターでした

千代の富士は1980年代に君臨した横綱であり、そして1980年代の日本を象徴するような王者でした。重厚長大は古いものと言われ、コピーライターが時代の寵児となり、ウォークマンを装着した若者が街を闊歩しました。そんな時代に千代の富士は登場します。

千代の富士の稀に見る筋肉質の体と若々しい精悍な顔立ちは、コンパクトで高性能がカッコイイと分かり始めた時代の象徴となり、そして千代の富士はそんな時代を象徴するスターとなりました。当時の新聞のコラムには、「初めて『カッコイイ』横綱が誕生した」、と書かれました。

千代の富士 土俵入り

千代の富士の初土俵は昭和45年、万国博覧会の年であり、高度経済成長期の日本のピークの年でした。昭和49年秋場所に幕下優勝を果たした千代の富士は、昭和30年代生まれの最初の関取となります。ときに千代の富士、19歳。その風貌は同じ時代にテレビでやっていた、「傷だらけの天使」の水谷豊っぽいですね。

千代の富士

入幕当時の強引すぎる、豪快な上手投げ。その豪快さは、規格外とさえ思えるものでした。ある意味、ウルフスペシャルよりインパクト大。プロレスから誘われるのも当然の、キレキレの筋肉。

ちなみに年齢はプロレスラー藤波辰爾より2コ下で、タイガーマスクより2コ上の千代の富士。噂では、貴ノ花と並ぶ国民的人気力士だった巨漢の高見山をエースにして、次代のエース候補が千代の富士という非常にリアルなものでした。

千代の富士 上手投げ

そして脱臼後の、千代の富士の筋肉トレーニング。ハンパではない、そのハードさです。「もう大相撲は続けられないかも」という崖っぷちで、千代の富士は相撲人生を逆転します。そして時代は、重厚長大の象徴のような北の湖の時代から、コンパクトで高性能な千代の富士時代へ。

千代の富士 筋肉トレーニング

昭和59年、千代の富士に停滞期がありました。このとき優勝9回。29歳の年齢は、従来の力士なら衰える年齢とも言えます。大鵬や北の湖がそうだったように・・・。やはり千代の富士の停滞期と、日本経済の停滞期は重なります。

時を同じくして、「黒船来襲」と呼ばれた小錦の登場。初対決で小錦に敗れた千代の富士に暗雲が垂れ込めました。しかしその後、千代の富士は小錦を力でねじ伏せ始めます。

日本の経済が停滞期からバブル経済に向かう、その切っ掛けは昭和60年のプラザ合意でした。バブル経済の足音が聞こえ始めるころ、千代の富士も見事に復活、黄金時代が始まります。(写真は下手ひねりで、まるで荷物のように小錦を放り投げる千代の富士)

千代の富士 小錦

やがて、千代の富士の青い締込みは黒に変わります。そして代名詞の、ウルフスペシャルです。千代の富士のウルフスペシャルが猛威を振るったころ、日本のバブル経済もピーク、それは熱狂に近いものでした。千代の富士は53連勝し、日本はバブルに酔いしれ、そして時代は昭和から平成へ。

千代の富士 ウルフスペシャル

北の湖時代の後期に横綱へ昇進、そして同世代の挑戦を次々に退け、さらに次世代の横綱双羽黒北勝海大乃国旭富士とともに、常に優勝を争う千代の富士。30歳の半ばに差し掛かっても、衰えを見せない千代の富士。

千代の富士時代は、まだまだ続くと大相撲ファンは思い始めます。千代の富士は特別な横綱だ、今は特別な時代なのだ・・・。それはまるで、バブル景気がいつまでも続くと思っていた、当時の日本人の心を映していたようにも思えます。

永遠などはありえないが、特別な時代は存在しえる、と言えばいいのでしょうか。今もバブルの華やかさの中で、大男たちを蹴散らす、小さな大横綱千代の富士の姿が目に浮かびます。

千代の富士

大相撲力士名鑑 : 千代の富士