北の富士

もっとも美しい力士、 北の富士 は「香車」から「飛車」そして「王将」へ

平成18年九州場所の八日目、この日は地元福岡県出身の女優黒木瞳がゲストでした。「初めて大相撲を生で見たときの感想は?」と、大相撲ファンで知られる黒木瞳にアナウンサーが質問しました。

「お相撲さんの体って、テレビで見るより綺麗だなあと思いました」と、答える黒木瞳。「その綺麗な力士たちの中でも最も美しいといわれたのが、ここにいる北の富士さんです」と、アナウンサー。

すると解説席の北の富士はさらりと、「まぁ30年も経てば、ただのオジサンだけどねぇ」・・・「最も美しい力士」の部分は、まったく否定しませんでした。

断髪式での北の富士は整髪後、純白のタキシードで登場。粋な横綱の、粋な断髪式でした。また北の富士は、土俵入りの華麗さでも評判となりました。

北の富士 断髪式 タキシード

北の富士 横綱土俵入り

取的時代は太れず、ニックネームは「キョウス」、将棋の香車ですね。口を尖がらかすクセは、昔から。また北の富士は足が長く、力士体型ではありませんでしたし、そのうえ非力。そのため北の富士は、速攻相撲に活路を見出します。

北の富士 新弟子

大関昇進直前の北の富士。回転の速い突っ張りと上手投げや外掛けなど、派手な取口と容姿で人気は抜群でした。ここでも、やっぱり口を尖らせていますね。取的時代の「香車」から「飛車」になっていきます。

北の富士

前述しましたが、北の富士は185㎝という長身ではあったものの横綱になり、そのうえ10回の優勝を果たす力士になるほどの素質ではありませんでした。

しかし左の脇は非常に堅く、ほとんどの相撲を自分得意の左四つでとりました。また、相手の廻しを切る技術にも長けていました。速攻相撲の型を貫くことが出来たのは、そういう細かい技術があったからです。

「底の浅い現代相撲の典型」と、当時の相撲解説の玉ノ海梅吉から揶揄された取口。しかし、「自分の相撲には自信を持っていた」とは北の富士。

北の富士の取口は、まさにオンリーワンでした。非力さと足の長さをカバーして、最高位にまで昇り詰めた唯一の取口が、その速攻相撲でした。「黄金の引き足」という言葉もありましたね。

そして横綱時代の北の富士です。「香車」から「飛車」、そして「王将」へ。稽古をする北の富士にも、「王将」の風格がうかがえます。昭和45年の夏、北の富士の全盛期です。

北の富士

会場入りする横綱北の富士、まさにスター横綱でした。大鵬玉の海とは、一味違う華やかさがありました。当時は「角界のプリンス」貴ノ花がアイドル的な人気で、北の富士ー貴ノ花は黄金カード。中日の日曜日に、しばしば割を組まれました。

北の富士

九重部屋の独立のとき北の富士は、大関になれたのは出羽海部屋にいたからと語りながらも、「力士になったのは、千代の山抜きでは考えられない」と、名門出羽海部屋を離れます。現代っ子横綱と呼ばれた北の富士ですが、実は古風な面を持っていました。

写真は昭和46年に、ほんの数ヶ月だけブームとなったアメリカンクラッカーに興じる北の富士。古風さと現代的な明るさのバランスが、北の富士の魅力でした。

北の富士

親方として千代の富士北勝海を横綱に育て、相撲協会でもNo.2で次期理事長候補となります。しかし年寄名跡問題でもめたとき理事から外され、協会を退職します。出羽海部屋を離れ、千代の山の九重親方に付いていったことが、大きな要因となりました。

もし、北の富士の理事長が実現していたら、たぶん今ごろは相撲博物館館長。相撲解説者、北の富士は存在しなかったわけです。粋な横綱、北の富士には館長よりも、やっぱり相撲解説者が似合っていますね。

大相撲力士名鑑 : 北の富士 横綱物語