藤ノ川

藤ノ川 は強かった。大鵬戦は今でも、私の記憶に残る名勝負ベストテンに入るな





先日のブログにいただいたコメントに藤ノ川が出てきて、私はこのブログで藤ノ川のことを何回書いているのかと思って見てみたら、何と1回だけだった。それに一番大きなエピソードである、大鵬戦について書いていなかったから書いておこう。

とにかく藤ノ川は人気があったし、強かった。20歳で関脇になるほど強かったわけだが、ケガが無かったら大関にはなっていただろう。小さいとは言っても、初代若乃花と同じぐらいの身長と体重だったし。

若乃花の方が胴長だったけれど、かいな力も足腰も藤ノ川は抜群だったから、可能性は充分にあったと思う。歳が近かった前の山と一緒に大関を張っていたかも。前の山もケガをして、不運だった。

今牛若丸って呼ばれていたけれど、それ以上に、立合いの当たりは強いし、突き押しの回転も速いし、いなしや突き落としも巧いし強烈だし、四つになっても力は強いし、さらに差しみも巧いし、相手の廻しも切るし。動き回るだけの力士では無かった、本当に。

大関豊山をバックドロップのように投げたり、高見山を豪快に投げた相撲は、廻しを引き付ける力が半端じゃないことを知らしめた。横綱佐田の山に後頭部ラリアットのような突き落としで勝って仁王立ち、ザンバラ髪で福の花に勝った相撲は鬼気迫るものがあった。

そして今牛若丸として動きまくっていた相撲でのハイライトは、昭和42年夏場所の大鵬戦だ。私は小学校に入ったばかりのころだが、鮮明に記憶に残っている。ちょっとした騒動だったから。

藤ノ川が片足を完全に土俵の外に出しながら、クルリと一回転。この究極のアクロバティックな相撲に大鵬は翻弄され、土俵を割った。藤ノ川は20歳、新関脇の場所だった。

ここで大鵬が行司に猛抗議、テレビの画面越しにも騒ぎになっているのが、当時6歳の私にも分かった。そして物言いとなった。もちろんビデオ判定の無い時代、土俵の外の砂を検査役の5人が囲んでの長い協議だった。砂に跡があれば早かったのだろうけど、協議は長かった。

結局は行司の軍配差し違いで大鵬が勝ったけど、翌日の新聞に、土俵際で藤ノ川の足が出たと思われる瞬間の写真が、大きく載っていたのを今でも覚えている。藤ノ川の足の部分に、丸印がしてあったのも覚えている。

ちょうど昭和の力士を書き始めた15,6年前、九州場所を見に行ったときに藤ノ川の伊勢ノ海親方と遭遇した。それも喫煙所か何かに向かう、人の少ない廊下。一対一の状況になってしまった。

当時現役だった、例えば高見盛をコンビニで発見しても、まったく緊張しなかった私。しかし昭和40年代の力士を見たら、さすがに少年に戻る。あのとき、足は出たのか。砂を掃いただけだったのか。それとも、触れたぐらいだったのか。

少年の夢では、牛若丸の足は砂に触れるか触れないか、ぐらいであった。そうであって欲しいと、今でも思う。本当に聞きたくて仕方なかったけれど、聞けなかった。そして藤ノ川の顔を見ながらすれ違って。

藤ノ川はそのとき、軽く会釈したような気がした。はっきりとしたことは、緊張で覚えていない、15,6年の記憶。56年前の記憶の方を、むしろ覚えているのだ。なぜ。

大相撲力士名鑑 : 藤ノ川




砂かぶりの夜

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