玉鷲

玉鷲 が見事に2度目の優勝で、不滅の青葉城の通算連続出場回数まで2年となったわけだ





玉鷲が9月場所を制した。強敵高安に完勝し、37歳と10ヶ月での優勝。年6場所制以降での最年長記録。取口も若い。場所中に、通算連続出場回数で歴代3位となった。

記録として、「これは凄い」と感じさせる記録に、大潮の通算出場回数と青葉城の通算連続出場記録がある。どちらも昭和60年に記録は更新され、両力士ともに引退まで自己記録を更新し続けた。

37年以上破られていない不滅の大記録で、特に大潮の通算出場記録は、中学生力士が廃止された今では、ほぼ破られることのない記録の一つと言える。だから通算連続出場回数の青葉城の記録は凄いのだけれど、玉鷲ならやってくれるかもと思わせる。今から、ちょうど丸2年で達成できる。

もう玉鷲の相撲内容については、ここで改めて書くこともない、素晴らしいものだ。馬力もスピードも若さに溢れ、そしてシンプルな動きでパワーを相手に伝える巧さと状況判断の良さはベテラン中のベテランだ。

初日に当たったのが世代交代の旗頭的存在の豊昇龍だったのも、玉鷲の若さをよけいに感じさせるものになった。その豊昇龍は前回も書いたけど、小兵相手での少々雑な攻めの件、その後の相撲もそういう目で見たら、やたらと雑な相撲に見えてくる。

アスリートとしての能力の高さと若さで、ポスト白鵬の一番手に今まで上げてきてきた豊昇龍だけど、やっぱり相撲は難しいものなんだなぁ、などと思ってしまう今場所だった。

ところで記録保持者の青葉城だけど、ガチガチの四つ相撲だった。そして、モミアゲと胸毛。とにかく徹底した四つ相撲で、筋肉質の体で相撲は寄りと吊り。地味と言えば地味だった。

ケガにも病気にも強く、ガチガチの四つ相撲。モミアゲに、さらに眉毛も濃く、目もギョロっとしてたけど、表情はいつも淡々と冷静沈着だった、という記憶がある。

淡々としているけど、押尾川の騒動では押尾川部屋に移籍している。天龍は移籍できなかったのに。そんなこんなで衰退した名門二所ノ関は、紆余曲折を経て稀勢の里が継いだわけだ。

大相撲力士名鑑 : 玉鷲




砂かぶりの夜

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