玉鷲が連続出場記録を更新した。凄い。
昭和60年に作られた二つの記録、大潮の通算出場記録と青葉城の連続出場記録は、今後も破られることがないのではないかと思われた。それほどの大記録。
大潮も青葉城も、地味な力士だった。改めて、大潮の通算出場記録が凄いので、少し大潮の話を書きたい。
昭和40年代前半のころ、20歳ぐらいのころの大潮は有望力士だった。期待された一番の理由は、185cmを超える上背に体重は135㎏前後という、非常にバランスの良い体をしていたからだった。
ちょうど、当時の花形力士だった北の富士と同じぐらいの身長と体重だった。
相撲は、左四つで吊り気味の寄り身を得意にしていた記憶がある。吊り気味というのは良い意味ではなくて、足長で腰が高かったから、そういう相撲になっていたと思う。そして、ヒザも固かった。
とにかく真っ正直な相撲だった。たぶん性格も、実直な人だったんだと思う。
時折りは突っ張りも見せたけど、廻しを引き付けて寄っていた場面ばかりを覚えている。そういう相撲がケガは少ないのだろうね。
そして青葉城は、まさに絵に描いたようなガチガチの四つ相撲。60年以上見てきた大相撲の力士の中で、一番純度の高い四つ相撲の力士と言えるな。
大潮の実直で真っ正直という部分での地味なイメージとは違って、青葉城の地味さは「男は黙って勝負する」という雰囲気があった。
玉鷲の話を全然していないが、それだけ青葉城の記録は凄い記録であって、それを超えたのだと言いたい。
しかし琴櫻と翔猿の相撲は、ガックリだ。あれを「翔猿のたいが無かった」と言うのなら、今までどれだけの「たいが無かった」力士を勝ちにしてきたのだ。これは、反省しかない。
翔猿も、あれじゃ嫌になっちゃうでしょ。
確かにね、ビデオが見られなかった昔の方が誤審は多かったよ。でも昔は、それで納得していた。だって大相撲がトップクラスのメジャーな時代に、引退した花形力士が土俵下にいただけで、ファンは少し納得したの。
それに昔は、審判委員じゃなくて検査役と呼ばれていたから、何となく格上にも感じてしまうのだ。
翔猿は令和5年7月場所初日豊昇龍戦も誤審で負けにされた。
>>https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202307090001219.html
横綱照ノ富士の左ふくらはぎにローキック(総合格闘技のカーフキックだ)を入れて、横綱をブチ切れさせたこともある。
>>https://www.chunichi.co.jp/article/840376
とにかくバタバタ動き回って勝機を見出す。あの体格で幕内上位に定着するためには禁じ手以外はなんでもやらないといけない。ただ審判部には嫌われてるかもしれないが、誤審で2回負けにされたのは翔猿ぐらいだろう。来場所の番附編成で「陰星」は付かないだろうなあ。
shin2さんへ
コメント、ありがとうございます。
本当に、よくぞここまで上位に定着していると思います。入幕したころは、そこまでとは思っていなかったですね。失礼しました。翔猿の良さは、したたかに、何でも堂々とやるところ、なのに意外と堅実さを両立しているから、大負けしないような気がします。