若浪

若浪 の打っちゃりは最高に絵になる決まり手、確かにコレは凄い絵





打っちゃりは、少なくなった決まり手の代表的存在でしょうね。ここ数年で思い浮かぶ使い手といえば元大関の霧島あたりですから、引退して丸19年経っています。

最初に相撲の面白さを感じたのは、打っちゃりでした。 迫力とスリル、そして美しさを感じました。当時、分解写真というもので(スローモーションという技術がまだ無かった時代です)たった今あった取組を振り返るのですが、きわどい勝負で物言いがついたときなどは、この分解写真をコマ送りで見るわけです。

その1mmずつ変化するような画像を見ながら、時の相撲解説の神風さんや玉の海さんが、「まだ胸が合ってますねえ」とか「ここで体(たい)が割れましたねえ」などと言うのをドキドキして聞いていたものです。

今は物言いの協議で、「胸が合っていた」「体が割れていた」という判断基準もなさそうですから、あまり耳にしなくなりましたね。

さて、若浪の得意手は吊りと打っちゃり。178cm、103kgの細身、しかし体は筋骨隆々、決して器具を使っては作ることの出来ないナチュラルな筋肉を持っていました。

若浪の打っちゃりは、まさに唯一無二のものと言い切ってしまいます。普通の打っちゃりは相手の体を割らせるため横に振りますが、若浪のそれは強靭な足腰を支点にして、後方に放り投げるように決めるときがあるのです。テレビを見ている方も、5cmほど腰が浮きそうな感覚です。

濃いもみあげに胸毛、濃い眉に切れ長の目、いかにも頑固者といった風貌。仕事に厳しい大工の棟梁といった雰囲気で、何の仕事をしても職人的存在になったのではないかと思わせるものでした。

若浪

しかし、会心の一番では思わず表情が崩れてしまう純情さ。昭和43年春場所に平幕優勝。千秋楽に12勝2敗で大関豊山・小結麒麟児(後の大麒麟)と並び、先に勝ってから豊山・麒麟児の結果を待つ間は、毛布をかぶっていたそうです。前の晩も緊張で、台所で一升瓶をラッパ飲みしたとも言われています。

その後は十両に落ち、抜群のバネと背筋力でプロレスからの誘いがあったようですが、十両土俵入りでの大声援によって踏みとどまり、再入幕を果たしたといいます。職人肌で純情というのは、イメージではなく実像だったのでしょう。

若浪 打っちゃり

それにしても、この打っちゃりの画像を見ていると、プロレスでも凄い技を開発していたかも・・・って感じがしますね。

力士名鑑 : 若浪



砂かぶりの夜

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