双葉山時代到来の直前まで、昭和初期の土俵を支えたのは玉錦でした。喧嘩っ早く粗暴な振る舞いもあったため、大関昇進も遅く、さらに大関で3場所連続優勝しても、横綱に上げてもらえませんでした。
やっと横綱に昇進し、そして横綱でも3連覇を達成した、その翌場所から双葉山の69連勝が始まります。劇的な覇者の交代でした。
ところで玉錦、その風貌とイメージが朝青龍に少し似ています。右四つの型を持った白鵬が双葉山を目標にしていただけに、つい重ね合わせてみたくもなります。しかし・・・。
朝青龍はそのスピードと運動能力で、常に自分有利の体勢に持っていく能力はありましたが、受けに回ることは苦手としていました。玉錦は自分よりも大きな相手に充分に組まれても、テコでも動かない受けの強さがありました。
そして、錦絵から抜け出してきたようだと形容された、玉錦の絶品の土俵入り。華麗で迫力も満点の、美しい土俵入りです。
同時期に横綱だった男女ノ川と・・・玉錦の人柄が伝わります。粗暴とはいえ人間味にあふれた一面を感じます。また二枚鑑札を許され、精力的に弟子を発掘・育成しましたが、弟子たちをかわいがることも尋常ではなかったようです。
出陣前の玉錦ですが、後ろに写る付き人らしき人物の握りこぶしに注目です。玉錦と同様に気迫のこもった付き人、玉錦が弟子をいかにかわいがっていたかが分かる写真ですね。熱さが伝わります。