栃錦

栃錦 の気迫と根気が名勝負を生み、そして黄金時代を創った





大相撲史上もっとも気迫に溢れる立合いで対戦相手を恐れさせた力士、 その代表的な力士として横綱栃錦が上げられるでしょう。私が生まれる直前に栃錦は引退していますので、残念ながら生でその相撲を見ることは出来ませんでした。

しかし春日野親方となった栃錦の、その表情から子供心に、「厳しい人だろうなあ」とテレビや雑誌を通じて感じていた記憶があります。

栃錦の立合いは深々と見事に腰を割り、鬼気迫る眼光で相手を睨みながら、両手を外側から持ってくる、威圧するような大きい仕切りでした。90kgに満たない体重で大関を張ったのは、今と時代が違うからとは言えないでしょう。東富士・照国・吉葉山・鏡里・大内山・松登等々、大型力士や巨漢力士が当時も大勢いたからです。

栃若時代を築き、「土俵の鬼」と恐れられた初代若乃花は栃錦を、「ふだんは温厚だが、土俵に上がると、それはそれは厳しい人だった」と、述懐していました。そしてその凄まじい気迫とともに特筆すべきは、驚くほどの根気のよい相撲をとったことです。

瞬間的な気迫ならば、できる力士は数多いでしょう。その気迫の持続と、それを実際に土俵の上で相撲として体現してみせたのが栃錦でした。だからこそ栃若時代に大相撲ファンは熱狂し、黄金時代が生まれたのです。

その黄金時代の名勝負、昭和30年夏場所千秋楽、栃錦ー大内山の一番。栃錦と大内山の、気迫と根気、そして勝負への執念が名勝負を生みました。

栃錦 大内山 首投げ

大相撲のテレビ中継が始まり、蔵前国技館も完成し、大相撲が戦後復興期から黄金時代へと移行する、そのときを象徴するような白熱の「大相撲になりました!」。




力士名鑑 : 栃錦

 

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