三重ノ海

一発の張り手で、 三重ノ海 の土俵人生は動いた





土俵人生を変える一瞬、昭和52年九州場所の8日目、横綱輪島と大関三重ノ海の一番は、まさにそんな相撲でした。昭和52年は、「優勝たらい回し」と呼ばれた輪湖時代の一つのピーク。名古屋場所で輪島が全勝優勝。秋場所は北の湖が巻き返して全勝優勝。一年納めの九州場所は輪湖決戦のムードが盛り上がっていました。

昭和52年、大関三重ノ海は初場所から8勝・8勝・5勝・8勝・7勝という成績。すでに年間2場所で負け越し、「クンロク大関どころではありませんでした。この九州場所も角番で7日目までに4勝3敗、大関陥落のピンチに立たされていました。

かつて、「貴輪時代」という言葉がありました。貴ノ花や輪島には華やかさがあり、常に注目の存在。三重ノ海は貴ノ花よりも1場所早く三役を経験し、新三役の場所も勝ち越しました。その頃の輪島はまだ十両力士。三重ノ海は大関キラーでも鳴らし、注目されるべき成績を上げていましたが、2人に比べると地味な存在でした。

三重ノ海と輪島はほぼ同じように好成績を続け、ほぼ同じように番付を上げていきます。当時、長谷川・魁傑を含めた大関レースは熾烈を極め、貴・輪と三重ノ海の5人の関脇が勢揃いした昭和47年名古屋場所、大関琴桜・ライバル魁傑などを破って5勝1敗と好調なスタートの三重ノ海は、しかし急性の内臓疾患で休場。

無念の失速でした。この場所は高見山が13勝2敗で優勝し、貴ノ花が12勝3敗で準優勝。前の場所では輪島が初優勝しており、まさに時代の転換期に三重ノ海は置いてけぼりとなりました。

それから5年、対照的な道を歩んだライバル同士が昭和52年九州場所の8日目に顔を合わせます。ここまで不調の三重ノ海に対し、輪島は7戦全勝。

思い出してみても、その張り手は本当に唐突なものでした。輪島の顔が90度、あっち向いてホイをされたように、凄い勢いで吹っ飛ばされました。そのままほとんど真後ろに崩れて、土俵下に落ちる輪島。しばらくの間、起き上がれません。

このときの三重ノ海の表情は記憶にありません。見ている方も呆然として、三重ノ海の様子など覚えていません。そんな壮絶な相撲でした。輪島はこの1敗を守り、千秋楽で北の湖との相星決戦を制し優勝。

昭和52年は優勝3回、輪島は年間最多優勝力士。三重ノ海は9勝6敗で角番を脱出。年間成績を45勝45敗の五分に、何とか持っていきました。

この日まで2人の対戦成績は輪島の27勝5敗と、完全に三重ノ海は圧倒されていました。しかしこの一番以降、三重ノ海の10勝2敗。立場は逆転します。三重ノ海が横綱に昇進するのは、この10場所後のことです。




力士名鑑 : 三重ノ海

砂かぶりの夜

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