「ダメですねぇ~~、コレは全然!ダメですねぇ~~」「アッ、もうヤメタほうがいいですねぇ~」・・・安治川親方時代の旭富士が、大相撲ダイジェストで本当に血も涙もない解説をしていたときの言葉は、私の記憶がたしかならば、こんな言葉でした。
かなり衝撃的な言葉だったので、時は経っておりますが、耳には割りとハッキリと印象的に残っています。間違いなく、言っていました。すがすがしささえ感じる、血及び涙のなさ具合でした。さて、その話は置いといて・・・。
旭富士は189cm・143kgでバランスの取れた柔軟な体の、「津軽なまこ」。そのうえ前さばきの巧さも抜群で、取口は「天才型」のイメージがありました。しかし旭富士と同じ昭和35年生まれの二人の力士と比較すると、決して天才の道を進んできたわけではないのです。他の二人の方が、「未来の横綱、間違いなし」と言われていました。
学生相撲になじめず旭富士が故郷で漁師をしていた頃、同じ昭和35年生まれの北天佑は、すでに注目の若手力士でした。旭富士が入幕2場所目のときに、北天佑は関脇で14勝1敗の初優勝し、翌場所は大関に昇進します。この場所の旭富士は上位初挑戦で4勝11敗。見事に、はね返されます。
そしてこの場所に幕下で優勝したのが、やはり昭和35年生まれの服部でした。学生相撲史上最強と謳われた、192cm・135kgのスーパールーキー。稽古場では関取衆に互角以上で、すでに幕内以上の力があるという評価を得ます。
旭富士と北天佑、対戦成績は当たり前ですが北天佑が当初は圧倒します。旭富士が対戦成績で北天佑に並ぶのは18回目の対戦となった昭和62年春場所、旭富士は入幕してから4年経っていました。このときに服部は、前の場所で21場所務めた関取から陥落、幕下に下がった場所でした。そして、2場所後に引退します。
この昭和62年春場所に関脇で10勝を上げた旭富士は、その後も好成績を続け大関に昇進。そして旭富士が新横綱で迎えた平成2年秋場所、北天佑は7日目に引退を発表しました。昭和35年生まれの三人の力士の土俵人生に、大相撲の厳しさを感じます。私も、同い年なので・・・。
>>安治川親方時代の旭富士が、大相撲ダイジェストで本当に血も涙もない解説をしていた
現在伊勢ヶ濱親方となった旭富士は、たまにNHKで解説をしている。
「血も涙もない」というか、ボソボソとしたしゃべりで的確に力士の欠点を突いてくる解説だ。
弟子に横綱・大関もいるから、いい指導者なんだろうが、なんというか「上司にしたらイヤなヤツ」という感想になってしまう(個人の見解です)。
shin2さんへ
コメント、ありがとうございます。
旭富士の解説は、楽しみにして見ていました。親方としても非常に厳しい指導と思われますが、だかたこそ、横綱・大関を育てられたのでしょう。また自身が、旭國の大島親方という厳しい師匠のもとで育ったことも影響していると思います。師匠としても、解説者としても。
大相撲を見なくなって20年。
ここ数日懐かしい旭富士を見るハメとなり、昨日の日馬富士引退会見での態度を見て思い出しました。
大相撲ダイジェストでの血も涙も心も思いやりもない解説。
当時は躾が悪かったのだろうと見ておりましたけど。三つ子の魂百まで。人間って変わらないものですな。
キヨさんへ
コメント、ありがとうございます。
大相撲を見なくなって20年ですか。私が大好きだった、吊り出しや打っちゃりが減り始めたころですね。キヨさんがお相撲を見られなくなった理由は分かりませんが、私は面白かったころの大相撲、50年ぐらい前の大相撲がまた見たいと思って、コラムを更新しています。昔は良かった、は正しくはないと思いますが、それは致し方ないと。