朝青龍

「過激な横綱」貴乃花に対し 朝青龍は「総合格闘技的な横綱」だったと思う





先日、貴乃花を 「過激な横綱」と呼び、対照的に朝青龍を「総合格闘技的な横綱」と位置付けました。横綱相撲をとらなかったという意味になるかもしれません。抜群のスピードと運動神経で、窮地に陥っても必ず自分有利の体勢に持ち直す、相手の持ち味を殺す相撲は貴乃花と対照的だと。

技を受けることから始まるプロレスと、技を避けるのが基本の総合格闘技。どちらが正解などとは言えませんが、貴乃花と朝青龍の相撲には、それだけスタイルの違いがあると思います。

もちろん小兵の名横綱栃ノ海は小兵力士としての相撲を極めましたし、そして小兵の名関脇の鷲羽山は、「朝青龍のような相撲だった」というふうにも書きました。逆に言うと朝青龍は立派な体で、鷲羽山のような相撲をとれた、というのも特筆すべきものかもしれません。

184cm・145kgの体で鷲羽山のような動きが出来る力士など、これからも現れないかもしれません。結局は、朝青龍は圧倒的に強かったせいで、横綱相撲らしくなかったことが強調されてしまったみたいです。

栃ノ海は大鵬・柏戸の大型の横綱がいたから、その相撲がより一層、素晴らしく土俵に映えたのでしょう。朝青龍も武蔵丸や曙と時代が少しでも重なっていれば、その相撲がもっと映えたような気がします。

番付を駆け上がっていたときの朝青龍と、白鵬と競っていたときの朝青龍が、もっとも朝青龍らしかったと思います。つまりライバル不在だった朝青龍全盛時代には、朝青龍の相撲のスタイルは素晴らしさよりも物足りなさの方を強く感じていたということなのでしょうか、個人的な感じ方ですが。

だとすれば白鵬世代が力を付けていった時代に、そこに立ち向かうときこそ朝青龍の相撲のスタイルが土俵に美しく映えたはずです。琴欧洲や把瑠都の実力が朝青龍に迫ったときの朝青龍の相撲こそが、大相撲ファン必見のものになるはずだったのです。話の方向性が・・・かなり個人的なものになっておりますが。

ということは、朝青龍の物語の本当のクライマックスシーンを私たちは見ることが出来なかった、圧倒的に強かった日々ではなく、迫りくる大型若手力士に対峙する場面こそが朝青龍の真骨頂で、その場面をもっと見ることが出来たなら朝青龍の記憶はもっと鮮やかなものになっていたでしょう。

ライバル不在だっただの、若貴時代だったらあれだけ勝てたのか?だの、いろいろありますが、逆から見れば、あの時代に朝青龍そのものが不在だったら寂しさこの上なかったわけで・・・。大相撲ファンとすれば、朝青龍と武蔵丸、朝青龍と把瑠都。この取組がもっと見たかったし名勝負が生まれただろうと思いますね。




力士名鑑 : 朝青龍

 

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