「褐色の弾丸」 房錦 と「潜航艇」 岩風 の若松コンビが大鵬を苦しめた





「褐色の弾丸」、房錦は21歳で新入幕の場所、いきなり11勝4敗。その後も「弾丸」の異名どおりの威力のあるぶちかましと運動神経抜群の動きで上位に進出。そして時は柏鵬時代、房錦は柏戸に5勝6敗の対戦成績。

房錦 柏戸

このあとの展開は、房錦が運動神経の良さを生かした引き技で勝利。さらに大鵬にも対戦成績5勝6敗。激しいぶちかましから攻め込み、大鵬に尻もちをつかせる完勝。

房錦 大鵬

房錦 大鵬

このころ同じ若松部屋には、「潜航艇」の岩風もいました。この岩風も、優勝して横綱昇進を決めたときと新横綱での優勝と、この記念すべき2場所連続優勝時の大鵬を2場所ともに土をつけています。そして岩風は、「潜航艇」のニックネームでしたが、怪力でも有名でした。

岩風

低い姿勢と強烈なおっつけの独特な取口、この体勢から崩しての横攻めが得意な流れ。この相撲で、全盛期の若乃花に2度も勝っています。

176cmの房錦に174cmの岩風、若松部屋の曲者コンビは若き日の大鵬を大いに苦しめました。それにしても、「褐色の弾丸」も「潜航艇」も、いいネーミングですね。




力士名鑑 : 房錦 岩風

 

4件のコメント

  1. 「褐色の弾丸」に「潜航艇」、当時のニックネームは戦争の匂いが色濃く残っていました。
    やはり全盛期の「不沈艦」大鵬に勝つにはこういう相撲しかなかったんですね、戸田羽黒岩もそうですし。

  2. ただしさんへ
    コメント、ありがとうございます。
    「褐色の弾丸」「潜航艇」の少し後に、「東北の暴れん坊」や「ピラニア」など魅力的なニックネームが現れたわけですが、それが似合う力士が当時は多かったですね。ちょっと前に、若手力士にニックネームを付けようとする動きがありましたが、定着しませんでしたね。やはり見た目だけではなく、取口に特徴が無いとニックネームを付けるのは難しいものだと感じてしまいました。

  3. 懐かしい名前です。
    小学校中学年の頃、相撲好きな担任の作田先生に引率されて高砂一門を訪ねました。
    先代朝潮確か関脇だったに続き松登、房錦らの取り組み、花相撲を見学しました。
    忘れられない思い出です。

  4. ryo kojimaさんへ
    コメント、ありがとうございます。
    私のコラムが懐かしい思い出と、つながらせていただけたのは光栄です。房錦が花相撲に出ていたということならば、十両には上がっていたと思われます。そして朝潮が関脇ということは、その出来事は昭和31年の5月から昭和32年の3月の間のことでしょうか・・・。房錦は若くして入幕して活躍し、二枚目だったこともあって、花形力士でしたね。

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