羽黒山

白鵬が最後に意識する記録は 羽黒山の横綱在位年数かも

私が大相撲に興味を持ち始めたとき、双葉山は時津風理事長でした。千秋楽、優勝力士に賜杯を渡す理事長の後ろに立っている、立浪親方の羽黒山は双葉山に劣らないほどに強かったと、そのころに聞きました。

羽黒山といえば序ノ口から幕下までの各段優勝と一場所通過が有名ですが、19歳での初土俵という遅めのスタート、そしてその類まれな筋肉質の体でスカウトされたことを考えると納得がいきます。

羽黒山

筋肉質の体による怪力を武器とし、低い小さな仕切りから両前ミツを引いて頭を付けて寄る、堅実無比な取口だったといいます。大関から横綱に上がるころは、まだ双葉山は全盛時にありました。右四つで受け止める横綱相撲をとる双葉山とは、対照的な取り口だったことになります。

力が強く、相撲ももちろん強かったわけですが、横綱昇進当時は持ち前のパワーを生かした相撲だったようです。のちに羽黒山は左四つ右上手での寄り、吊り、上手投げを中心にする堂々とした取口に変わります。その筋肉と取口の変遷は、千代の富士に通じるところがあると思います。

羽黒山は戦後の復興期を支えた横綱、双葉山引退後を支えた横綱と形容されます。羽黒山の全盛期は昭和20年から昭和22年の3年間、4連覇のころです。この4連覇の絶頂期は年2場所のうえ、昭和21年は一場所しか開催されませんでした。優勝は双葉山の12回に対し、7回を数えます。

もちろん戦後の大相撲存続のかかった時代を支えた羽黒山に、数字に関する評価は相応しくないものでしょう。しかし数字という面で羽黒山が記録した、12年を超える横綱在位という記録があります。大ケガを乗り越え、37歳のときには全勝優勝も果たします。最後は皆勤できない場所もありましたので、実質は11年あまりの活躍でしたが・・・。

来場所で横綱60場所、丸10年となる白鵬にとって最後に意識する横綱は羽黒山かもしれません。

力士名鑑 : 羽黒山




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