益荒雄

バブル前夜に 益荒雄 旋風が吹き荒れた

益荒雄が土俵に旋風を巻き起こしていたころ、世間にはバブルの前兆が現れ始めていました。私は益荒雄と年齢が一つ違い、何か刺激される部分がありました。20代も半ばを過ぎて、「益荒雄、凄いなぁ。俺らも頑張らなイカン」と友人らとダベっていました、そのころ。

そのいつも遊んでいた友人に子供ができて、私は「男の子だったら名前は益荒雄がいい」、とすすめました。その友人の出身が益荒雄と同じだったし、益荒雄は格好良かったし、益荒雄=マスラオ、字面もいいし、音の響きもいい。

友人は、「それは、イヤだ!」と拒否しましたね。いいと思ったんだけど・・・。マスラオって、ハリマオにも似てたなぁ。私の世代は「怪傑ハリマオ」には間に合わなかったけど、それでも主題歌のサビを知ってるぐらいメジャーだったし。

などとグダグダ書いておりますが、益荒雄旋風は強烈でした。顔も良かったですね、面構えが。やっぱり同じ福岡県人で、それも青春の門の舞台になった筑豊ですから。見ていても、気合が入りました。

益荒雄の相撲は右を差して、食い下がっての投げや足クセで崩して攻める相撲。下手中心の、いわゆる横綱を目指せる相撲ではありませんでした。しかし、大関を目指せる相撲ではあったと思います。

下手からの相撲は大成しないとよく言われますが、下手中心の相撲は相手に密着するので、熱戦が多いのも事実。下手からでは綱は無理でも益荒雄には期待しました、大関を。何と言ってもニックネームが、「白いウルフ」でしたから。

時代は九重部屋10連覇の千代の富士全盛時代。横綱に双羽黒、大乃国と北勝海が横綱を目指し、小錦と旭富士が大関を目指し、北天佑と若嶋津と朝潮が大関にいた時代。三役には栃乃和歌・逆鉾などがいました。

この上位陣を相手に大暴れしましたが、たしかに上位に留まっておくのには大変な難敵揃いでした。今考えると白くない方の「ウルフ」は凄かった、このメンバーで勝ち抜いたのですから。自分の下の世代を退け、もう一つ下の世代をも退けて、結局はほぼ同時期に引退するわけですから、凄さの再認識です。

それにしても、やっぱり益荒雄は良かったです。特に、豊かな素質で順風満帆に横綱に上がった(ように見えた)、双羽黒を連破したときは気持ちよかったものです。益荒雄の相撲に勇気をもらい・・・そしてバブルの泡の中に突っ込んでいったのも・・・今は昔、ですね。

力士名鑑 : 益荒雄
 



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