前田山 東富士

照ノ富士 より70年近く前、五横綱時代に挑んだのは増位山でした





五横綱時代は長い大相撲の歴史の中で、番付上は一度も無いはずですが写真は存在します。実際は入れ替わりでしたが、記念すべきということで、写真に納まったのでしょう。

こちらの写真、左から鏡里・羽黒山・照國・東富士・千代の山です。これは間違いなく、昭和28年春場所後のものです。昭和28年春場所後に照國は引退、同じく春場所後に鏡里が横綱に昇進します。

五横綱

ですから、番付上で照國と鏡里が重なることはありませんでした。次にこちらの五横綱が揃った写真は、昭和29年秋場所後の写真です。左から、栃錦・千代の山・東富士・吉葉山・鏡里です。

五横綱

こちらの写真も同様に、昭和29年秋場所後に東富士が引退、そして秋場所後に栃錦が横綱に昇進しております。どちらも番付上は存在していませんが、写真には残したかったようですね。

最初の五横綱のチャンスは、昭和24年の秋場所でした。当時の横綱は羽黒山・前田山・照國・東富士。この前の場所、昭和24年夏場所に大関増位山が優勝します。一番最初の写真が、前田山と東富士ですね。喧嘩好きな前田山と、それがちょっと苦手な東富士、微妙な空気です。

そして秋場所、綱取りに増位山は挑みますが失敗。そして同場所、途中休場していた横綱前田山が場所中に巨人とメジャーリーグの試合を観戦していたことが大問題となり、前田山は引退します。前田山、如何にもヤンチャそうです。

前田山

「張り手旋風」を巻き起こしましたが、「張り手論争」も巻き起こしたようです。横綱羽黒山を張り手で圧倒する前田山、この場所は双葉山も破っています。羽黒山は張り手を否定、双葉山は容認したといいます。

前田山 張り手

増位山は早くから双葉山に可愛がられていた、という点で東富士と共通しています。これは増位山独特の、ヒジを使い、手首のバネを利かせた突き押しといわれます・・・今一つこれだけでは、よく分かりませんが。

増位山

この3度の五横綱のチャンスの場面すべてに登場する東富士、やはり双葉山に幕下時代から可愛がられ、横綱となりました。「怒涛の寄り」と必殺の上手出し投げの横綱でした。

東富士

東富士 上手出し投げ

照ノ富士と高安、五横綱時代への挑戦が始まる名古屋場所です。

大相撲力士名鑑 : 前田山 東富士 増位山

大相撲 幸運ブレスレット




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