吉葉山 鏡里

これが梅常陸の再現と形容された 吉葉山 と 鏡里 のがっぷり四つです





上の写真は、常陸山と梅ヶ谷の四つ身の美しさと対比された、吉葉山と鏡里のがっぷり四つです。昭和20年代後半から30年代初めに活躍した二人の横綱は、対照的な個性を持っていました。

稀勢の里が、「待ちに待った横綱昇進」という感じで横綱になりましたが、昭和20年代後半にもっとも横綱昇進を期待されたのが吉葉山でした。

美男力士で、いかにも綱が似合いそうな筋骨隆々で固太りの立派な体格。それだけでも人気はあったのですが、度重なる不運が人気に拍車を掛ける形となりました。こちらは終戦後、復員した当時のやせてしまった吉葉山です。

吉葉山

兵役にとられて伸び盛りの5年間を棒に振ったこと、さらに戦地で左大腿部に銃弾をうけたこと。また
部屋別ではなく一門総当たり制の時代に、小部屋で上位陣全員との対戦という不利な立場にあったこと。そして優秀な成績を上げながらも、あと一歩で優勝に届かなかったこと。

昭和29年初場所、ついに全勝優勝を果たし横綱昇進が決まったときの大相撲ファンの熱狂は、のちの貴ノ花の初優勝や若貴ブームと匹敵するといわれています。戦後という時代背景を考えると、大相撲ファンの感情の高まりは、吉葉山のときが上回っていたと思います。

吉葉山

鏡里は、吉葉山とは対照的な横綱でした。師匠の双葉山の「踏み込んで右を差して、差し手を返したら上手は取れる」という教えを守り、右四つからの寄りの地道な取口。派手さはありませんでしたが、成績は安定しているうえ、横綱としては休場が非常に少ない力士でした。

鏡里

「10勝できなければ引退する」という自身の発言通りに、9勝6敗で引退したのは青森県人の持つ「じょっぱり精神」なのでしょう。見た目はおとなしそうな印象ですが、芯の強さがうかがえます。

それは同世代の横綱との対戦成績にも表れています。千代の山に15勝8敗・若乃花に15勝9敗・朝潮に15勝7敗・栃錦に16勝14敗と勝ち越し、唯一の負け越しが吉葉山に10勝11敗でした。

戦後復興期の大相撲人気回復に、爆発的な人気をほこった吉葉山と、まさに縁の下の力持ち的な役割を果たした鏡里が大きく貢献しました。そして栃若時代にバトンタッチされるのでした。

大相撲力士名鑑 : 吉葉山 鏡里

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