若貴時代の名大関、貴ノ浪は変則相撲を得意とする「異能力士」といわれました。もちろん貴ノ浪のような体を持っていても、貴ノ浪のような相撲はとれません。そういう異なる能力を持っていたという意味での、「異能力士」でした。
もちろん引っ張り込む変則的な相撲だけでなく、通常の四つ身も巧く、それで綱まであと一歩まで迫ったわけですが、ここでは現役時の貴ノ浪の話ではなく、音羽山親方の時の話を書きたいと思います。
音羽山親方になってからの貴ノ浪の相撲解説は、明快で語り口はよどみなく、琴錦と並んで非常に分かりやすい解説者として活躍しました。そしてそのころ貴ノ浪が提言していたのが、「立合いに両手をつく必要は無いのではないか」というものでした。
言いたい人がいたとしても、なかなか言い出しにくいことです。最近では北勝力の谷川親方が、「あんなに何秒も両手を付いていたら、強く当たれない」的な発言をしていましたが。
実際に、立合いに両手をついていた時代はあったのでしょうか。双葉山の時代を見ても、両手をつかない立合いはしばしば見られます。基本的に双葉山は両手をついていましたが、対戦相手が片手でも何の問題もなかったようです。
これは残された、数に限りのある映像からの私の判断ですので、あくまでも以下は個人的な見解となります。たしかに双葉山は両手をついていましたが、ほとんどの場合、ついた次の瞬間には立っています。今のように両手をついて1秒、2秒というケースはほとんどありません。
双葉山の立合いは模範的なものでした。常に両手をついた、不変の立合いでした。しかし相手は違いました。片手でも立っていて、それを行司に止められる場面はありません。ただ双葉山に1秒も2秒も、待たせて立つことも無かったようです。
立合いの正常化が図られた昭和60年初場所、このとき掲げられたのは言ってみれば、「すべての力士が双葉山の立合い」を目指すということでした。昔でも、それが出来ない力士がいたわけですね。それも立合いに制限時間のない時代に。
この昭和60年に「模範的でなかなか出来る力士がいなかった」ものを「義務化」したわけです。ちょっと極端な言い方ですが、そう思います。
貴ノ浪の話に戻ります。貴ノ浪は「両手をつくと、立合いで勝負の大半が決まるケースがある」「両手をつくと、体重の重い力士が有利になる可能性が高くなる」「両手をつくと、押し相撲が有利になる可能性が高くなる」という趣旨の提言をしていました。
良いとか悪いは別にして、当たっている部分が非常に多いですね。あれから紆余曲折もありましたが、30年以上経って、貴ノ浪が言うように体重の重い力士と突き押し相撲の力士が有利になったため、そういう力士が増えていると感じます。突き押しから、引きと叩きの相撲も増えています。
しかしモンゴル人力士は、これに該当していません。だから、この30年ぐらいで日本人が太りやすい体質になった・・・こういうザックリとした結論は、話が終わりますので止めときましょう。
今、実際のところは立合いの手付きに関しては微妙ですね。立合いを止める判断も。さらに言えば、相撲協会の勝負規定も「立合いに両手を下ろすを原則とする」とありますが、これも微妙です。「下ろす」が、どこまで「下ろす」のか・・・。
細部に関しては時代とともに変化することもあって、微妙な変化を続けながらベターな形になっていくように思います。
今は宇良が、貴ノ浪の提言に対して、一つの提言を体を使って表しているように感じます。「立合いの当たりで決まるのなら、立合いに当たってやらない」という相撲です。これは当然、足腰に自信がないと出来ないことですが。
明後日で、貴ノ浪が亡くなって2年です。まだまだ大相撲への、明快な提言をしてほしかった方でした。
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手つき義務化以前は、隆の里のマラソンスタートとか、さすがにヒド過ぎる立合いもあった。
現在は手つきに厳しすぎる傾向にある。少なくとも、相撲が始まっているのを止めるのは見てる方がシラけてしまう。
貴ノ浪三回忌か。誇張でなく「角界の論客」「相撲協会の頭脳」になるべき人だった。
若の里の西岩親方がその役目を引き受けられるか。あ、琴錦の朝日山親方もいたか。ちょっとしゃべり過ぎな気もするが。
shin2さんへ
コメント、ありがとうございます。
貴ノ浪は、一番働いて欲しかった親方でした。欲しかったというよりも、一番必要とされていたというべきでしょうか。西岩親方・朝日山親方、たしかに期待したい親方ですね。新しい時代の力士が輩出され、今は大事な時期でもありますね。